未来へ紡ぐ、生きる歴史の博物館 阿智村全村博物館
「箒木の心をしらで園原の道にあやなく惑いぬるかな」
日本古典文学の最高峰とされる源氏物語の中で、箒木(ははきぎ)を詠んだ歌の一つです。箒木とは、下伊那郡阿智村園原にある伝説のヒノキの名木であり、「遠くからはよく見えるけれど、近寄ってみると分からなくなる、という不思議な木」とされ、人の心の移ろいや迷い、不確かな者の例えとして、源氏物語をはじめとする多くの歌に詠まれていました。
奈良・平安時代、都から東国への官道であった東山道は、岐阜県中津川市と阿智村の間にある神坂峠が最大の難所。そのふもとの園原は、旅人にとって大変厳しい道のりを越えた先の安堵の場所でもあったと考えられます。そして、園原の風景の中にある「木賊(とくさ)」や「箒木」などが、往来した人々の旅の話題の一つとして都に広められ、古文にもたくさん登場することになっていったと考えられています。
今回はそのような歴史を持つ阿智村で、地域活性に取り組む「一般社団法人阿智村全村博物館協会」をご紹介。
活動の拠点施設となる「つぼや」(阿智村駒場)を訪ね、代表理事・林茂伸さんと阿智村役場・大石真紀子さん、阿智村の中心地である駒場地区の集落支援員・塚田幸治さんに、取り組みに関するお話を伺いました。
地域の歴史や生活文化を伝え、資源を継承していくために
深い歴史を持つ園原があるここ阿智村も、1970年代後半から人口減少の課題に直面してきました。そして2000年代に入り、阿智村に通る古代東山道・園原地区の歴史保存と活用が、行政と住民の間で議論されるようになります。
そんな中、地域に残っている資源を大事にしながら地域の活気を復活させることを目的に「阿智村全村の歴史や生活文化を丸ごと博物館にする」という、阿智村版エコミュージアムの考えが提案され、当時役場職員だった林さんも、実現に向けた住民運動に参加するようになります。しかし実際は、何をすれば良いかわからない中、試行錯誤を繰り返しながらの活動。混沌とした中で、少しずつ形になりつつも「当時は取り立てて活動の実態がなく、苦しい時期を送っていました」と林さんは話します。
時は過ぎ2008(平成20)年。阿智村第5次総合計画に阿智村版エコミュージアム「全村博物館構想」が位置づけられ、当時は村の根幹の目標として住民運動を行政が支える形になっていきます。
その後、園原の案内や展示を行う施設「東山道・園原ビジターセンターはゝき木館」が開館。林さんも行政担当者として、さまざまな取り組みを進めることに。
- 東山道・園原ビジターセンターはゝき木館
- 館内では阿智村の歴史が語られている
時を同じくして、現在は役場の担当職員として活動に携わっている大石さんが、阿智村に移住。その後、ともに活動をする仲間となっていきます。
林さんは阿智村役場を定年退職後、全村博物館構想の活動を続けながら、阿智村満蒙開拓記念館のボランティアガイドに。毎日訪れる人たちのさまざまな知識レベルに応じて、史実を分かりやすくコンパクトに伝えることがいかに大変かと実感するとともに、ガイドの重要性を感じることになります。
林さんは「地域のことを他人に紹介しようとすると、実際は理解できていないことも多く、この地域の中にいろいろな学習文化の組織があっても、他人に伝えるシステムができていなかった」と、2019(令和元)年春、阿智村内の地域を案内するガイド養成講座を企画します。
まずは村の中心部でもある駒場地区を案内するガイドの養成講座を、1年で5回ほど開催。そして「あちこち散歩」という商品にしていこうと5名がガイドになり、宣伝活動を始めます。しかしその矢先、新型コロナウィルスの影響が及ぶことに。林さんは「落ち着くまでの間、十分な準備期間・勉強期間をもらったと思うようにしました」と当時の心境を語ります。
その後、地域の保全活動などを行い村民の認知度も高まってくる中、駒場地区の古民家を解体する話が浮上します。1930(昭和5)年に建てられたその古民家は、以前は高級な呉服屋として使われていた丈夫な建物で、90年以上経った今もまだまだ使える状態でした。東山道の宿場町の趣を残す数少ない貴重な建物のため「使えば壊さないだろう」と、林さんたちは再生に向け着手します。
林さんは「この駒場地区も阿智村の中心部とはいえ、人口減少に歯止めが効かず空き家がたくさんできて、壊されていく状況でした。人の減少は経済の減少にも直結する。経済を滞らせるわけにはいかないので、とにかく人が集まるようにすることをひとつの目標に掲げ、ここを残しながら人が集まる場所にして、新たなにぎわいをつくりたいと進めてきました」と語ります。
そしてこの古民家は、地域の人や観光で訪れる人の交流の場・全村博物館構想の活動拠点施設「つぼや」として生まれ変わり、同時に法人化に向けた動きが始まることとなります。
“捨てるべきふるさと”ではなく、“創るべき地域”へ
2022(令和4)年7月、林さん、大石さんをはじめとするメンバーのほか、全村的な取り組みとして進めるため村内各地域からも社員が加わり、「一般社団法人阿智村全村博物館協会」(以下、全村博物館)が設立されました。現在は協働会員からの会費と村からの委託費で運営され、拠点施設の「つぼや」は、複数のメンバーによって管理・運営されています。
そのメンバーの中のひとり、駒場地区集落支援員の塚田さんは「海外へ留学して帰郷した際、生まれ育った駒場の街並みは活気が衰え寂しくなっていました。また以前の駒場のように元気な町になっていってほしい」と想いを寄せます。
現在、駒場地区では年5回ほど「こまんばマルシェ」を開催。キッチンカーや雑貨、パンなどの販売があり、観光客や地域住民の交流の場となっています。
そして「使って残して、地域資源を利活用する」を活動のテーマに「つぼや」をレンタルスペースとして貸し出すほか、五平餅作りなどの里山体験の開催、地域の歴史や民俗について高齢者に話を聞いたり、調査研究した学習会、展示・発表会などを行ったりしています。
また、コロナの影響が落ち着き、村民が観光客に対して地域案内ガイドを行う「あちこち散歩」も再開。その活動について林さんは「満蒙開拓記念館のガイド経験から、地域住民がガイドになることで、地域について学んでより理解を深め、主体的に地域に関われるようになる循環を作りたいと感じました。以降、地域のガイドを養成し、村内地区の中で4つのコースが生まれました。1~2時間ほどで回れるコースは、小さな範囲の中でもたくさんの魅力が詰まっていて、現在は旅行会社にもPRし、観光客の利用もあります」と、経済を回すためのセールスマンとしても尽力。続けて「軌道に乗せるまでが大変だけど、地区の人たちが自身の言葉で地域を紹介したり評価できることが大事で、全地区にコースができれば良いと考えています。これは全村博物館活動を進めていく上で、大きな力になっていくと思っていて、なんでもない農村を案内する仕組みができて、ある程度うまくいけば、全国各地の農村でも使える汎用性があると思うんです。“捨てるべきふるさとではなく、創るべき地域”というふうに捉え直してやっていくべきだと思っています」と想いを明かします。
また歴史的背景が深い園原を拠点とした動きも活発に。1984(昭和59)年に園原に移築された古民家の中に造られた能楽堂を活用し、塚田さんが中心となって能楽教室が運営されています。村外から能楽師を講師として招き、園原が舞台となる能楽「木賊」の謡(うたい)の稽古体験など、多くの人が阿智村を通して文化に触れる機会を創出しています。
現在はそれぞれの企画に関わる人を数えると、高校生から90代まで、およそ100名くらいとのこと。大石さんは「マルシェの動きを見ていても、コロナ禍が明けると他へ目を向けてしまう人もいて、“ここならではの魅力”をきちんと出していくことが必要と感じ、それを模索しています。大学や研究者も、全村博物館全体の発展や、全村博物館を含めた阿智村の地域づくりがどう展開されていくのか、興味を持たれていると思います」と語ります。
豊かな文化を創造
歴史を理解し、未来につなげる
阿智村全村博物館構想として正式に打ち出されてから、およそ15年。ずっと走り続けてきた林さんは「役場で働いている時は、自分はプランナーでありプロデューサー的な立場でプレイヤーではなかった」と話し、「住民運動をする中で、やはりたくさんのプレイヤーが欲しかったんです。そして役場を退職した今は、自分自身がプレイヤーに徹しようと。今まで生きてきた中で一番今が忙しい。ピークですね」と、現在の状態を明かします。続けて「長年活動をしてくると一般的な見解として、農村は封建的、発展性がなく保守的だというイメージがあったんですが、民俗学や歴史をみても、そうではないということを示したかったという思いがありました。マルシェやあちこち散歩など新しいことを仕掛けていく一方で、その土地の歴史や古文書から地域資源を発掘し、先人がやってきたことを再発見する。それを勉強し、伝えながらいろんな活動に生かしていく。地域には何もないと言っている人はいるけど、歴史を知れば実は良いところはたくさんあって、今までこの地域の人たちがやってきたことの蓄積は、かなりのものがある。掘り下げて理解していくと、自信を持って地域を語れます」と想いを表します。
また、周りの人たちがさまざまな楽しい企画を考えてくれると言い、「楽しいから人が集まってくる。楽しくないことはやめれば良い。難しく考えなくて良いんです。文化は創るもの。なければ創ればいい」と話します。
今後について林さんは「園原は1000年以上前のことも、たくさんの事実が残っていて、歴史的にも特別級の場所。さまざまな切り口で企画を開催しながら、地域の魅力を知らしめている段階ですが、まだまだ道半ば。“地域資源はどこにもいかない”。その考えに共感しあえるさまざまなセクターの仲間と、これからも運動を続けていきます」と決意を表し、地域に暮らす「関心のない人」にこちらを向いてもらうことを一つの目的としながら、さまざまな手段をいろいろな人と連携しながら、前進し続けます。
このように、深い歴史と資源を持つ阿智村。今年は、源氏物語の作者・紫式部の人生を描く2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」の制作決定を受け、源氏物語・箒木プロジェクト委員会が設立され、阿智村全村博物館も主催メンバーとして深く関わっています。9月〜10月にかけては、演劇や講演会、阿智村に通る「古代東山道」と源氏物語に登場する帚木がある「園原の地」に関するガイドツアーなどのイベントが開催され、ますますの活気に満ちています。
- 源氏物語・箒木プロジェクトの一つ:9月30日に開催された、そのはらの月見祭り。寸劇「とくさ太夫」
- 月見祭りでは、源氏物語に関する著書も多い、聖心女子大学 名誉教授 原岡文子氏による講演会も行われた
「地域のことを、堀下げながら探っていろいろ知っていくことは、地域が元気になっていくことに、絶対につながっていく。これは日本全国、世界においても、どこでも言えること」と、林さん。
今後は、阿智村の中の浪合地区、近隣の平谷村・根羽村とも連携し、「中馬街道ガイド研修会」などが企画されています。
全村博物館のますます強まる存在感とともに、阿智村が将来、豊かで活気あるものとなっていくことが伺えます。
取材・文:北林南
撮影:中島拓也