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地域住民による区誌編纂 東伊那で取り組む“ハイブリッド風土記” 

地域住民による区誌編纂 東伊那で取り組む“ハイブリッド風土記” 

長野県駒ヶ根市東伊那は、約500戸、およそ1800人が暮らす地区です。地区のシンボルは、標高1331メートルの高鳥谷山(たかずやさん)。1875(明治8)年、旧高遠藩中沢郷の5つの村が一緒になり、東伊那村が誕生してから、今年150周年を迎えます。
その東伊那で現在、地域住民による区誌の編纂が進められています。4つあるコンセプトで、キーワードになっているのは、オールカラー、3分冊、思い出収集、デジタル化、そしてハイブリッド風土記…?一体どんな区誌なのか、駒ヶ根市立東伊那公民館の春日由紀夫館長にお話を伺いました。

地域住民が皆で作る区誌

区誌の編纂はいつ始まったんでしょうか?

春日さん
2020年に始まり、今年で5年目です。専門家にお願いして書いてもらうのではなく、地域の皆さんで一緒に作っていきたい、ということでメンバーを集めました。編集委員会を月1回のペースで開いて、どういう区誌を作るかを繰り返し話し合い、コンセプトを決めました。まず1つ目は「オールカラーで3分冊」。本棚に並べておくのではなく、手に取ってもらうことを想定した厚さです。あと、区誌としては珍しいですが、東伊那の今の自然を記録しておきたいということで、自然編も作ることにしました。内容も、中学生が読んで分かるようなものを意識しています。
ただ、どうしても掲載できる量は限られてしまう。そこでこれを機に、地域の歴史的な資料を残すためにもデジタル化に取り組むことにしました。紙面に載せられなかった資料はQRコードを付けておけば、スマホやタブレットで見ることができる。県立図書館の「信州の地域デジタルアーカイブ」と連携して、協力しながら進めています。

写真:東伊那地域住民による区誌編纂駒ヶ根市立東伊那公民館の春日由紀夫館長

区誌のデジタル化は珍しいですよね。実際に作業はどのような感じですか?

春日さん
デジタル研究会というのを作って、現在は作業日を月に1回設けています。具体的には、スキャナーで古文書をスキャンして、専用ソフトで確認して、ファイルに保存します。こういうと簡単そうですが、実際は古文書が冊子だったり巻物だったりと、形状もバラバラで、紙の厚さも違うので大変です。1冊をスキャンするのに数時間かかることもあります。今は15、6人ほどメンバーがいますが、最初は素人ばかりだったので、古文書のことは高遠町歴史博物館学芸員の福澤浩之さん、デジタル機器のことは長野県南信工科短期大学校教授の松原洋一先生にお声がけをして、来ていただくことになりました。

  • 写真:東伊那地域住民による区誌編纂デジタル研究会の作業の様子
  • 写真:東伊那地域住民による区誌編纂

デジタル化、といってもなかなか大変なんですね。

春日さん
私はデジタルの一番の良さは、垣根を越えてさまざまな人が交流できることだと思っています。一緒に作業をすることで、素人も専門家も互いが触れ合い、刺激し合える。最近は、誰でも気軽に参加できる体験会も開いていて、「やってみたら面白かった」とメンバーに加わってくれる人もいます。比較的若い世代の人もいるので、できれば区誌の編纂が終わっても、地域の資料はデジタル化して残しておきましょう、という方向になってくれればいいですね。

資料というのはどのようなものが多いのでしょうか?

春日さん
区誌の編纂を進める中で、面白いと感じているのは、歴史的価値とは別に、地域のことを伝える資料がたくさん残っているということです。例えば、日記のようなものを紐解いていくと、江戸時代に東京に行って商売を始めたとか、そういうことが書いてある。この地域の暮らしが分かってきます。
編纂の様子を知ってもらおうと、2020年10月から「編さん便り」を月1回発行しています。その中では、持参していただいた資料や写真をその背景と共に紹介することもあって、そういうことを繰り返すうちに、私たちがさまざまなものを集めていることが周囲に伝わっていくんですね。「よく分からないけれど、家にあったから」と資料を持参してくれる人が増えてきて、そうすると自然と「これは何が書いてあるの?」と関心を持ってくれる人も増えてきたように思います。

確かに書いてあることが分かると、興味がわきますね。

春日さん
区誌のコンセプトの2つ目が、アナログとデジタルの良いところを取り入れた“ハイブリッド風土記”。風土記は朝廷が命じて作らせたものではありますが、中身は雑多で、その地域のことが割と何でも書いてある。区誌も「価値ある歴史書」という感じではなく、書いたり、調べたり、話したりしながら、皆が参加して作り上げていけばいいのではないかと思っています。

今はどのくらいの人が関わっているんですか?

春日さん
執筆協力者は40~50人くらいですね。興味のあることを調べたり、研究したりして書いてもらっているんですが、ちょっと暴走して「これは本文には入れられないから、コラムにしましょう」「これはデジタル化しましょう」ということもあります(笑)。
3年前からは、「東伊那再発見講座」も始めました。講師は地域の人が担当するので、聞く側からすると、距離感が近くて分かりやすい。例えば、「あそこのおじさんは、瓦に詳しい」というような人が地域に増えていくことで講座が終わってからも、何かあれば直接聞けるという関係が生まれます。これは区誌が完成した後も、地域の人が調べて発表して皆で聞く場、ときどき専門家の人も呼んで皆で学ぶ場、として続けていきたいですね。

  • 写真:東伊那地域住民による区誌編纂酒造の歴史を学ぶ東伊那再発見講座「東伊那は酒の里」
  • 写真:東伊那地域住民による区誌編纂甲冑を展示した東伊那再発見講座「東伊那大甲冑展」

皆さん、すごく熱量があるんですね。

春日さん
熱心にいろいろと取り組んでくれています。そのおかげで、皆さんと一緒に地域を深堀りしていったら、こんなことがある、こんな人もいる、という発見がどんどん出てきた。伊藤文四郎さんもその一人です。

地域を深堀りしてスポットライトを当てた「伊藤文四郎」

東伊那で生まれた伊藤文四郎(1882-1966)はアメリカで建築学を学び、日本に西洋建築を広めた建築士。大正から昭和にかけて、旧帝国ホテルなど数々の近代西洋建築に携わり、駒ヶ根市有形文化財の旧赤穂村役場庁舎(現・市郷土館)も設計しました。
11月には市東伊那公民館で回顧展を開催。写真や資料でその生涯を振り返りました。

  • 写真:東伊那地域住民による区誌編纂
  • 写真:東伊那地域住民による区誌編纂
  • 写真:東伊那地域住民による区誌編纂
  • 写真:東伊那地域住民による区誌編纂

伊藤文四郎さんは、地元では有名だったんですか?

春日さん
知っている方もいたとは思いますが、どちらかというと、知る人ぞ知るという感じで、私も詳しいことは知りませんでした。区誌に載せようと資料を集める中で、予想以上に貴重な資料が数多く残っていることが分かりました。それで、せっかくなら多くの人に見てもらおうということで回顧展と、記念講演会を企画しました。東京大学名誉教授の藤森照信先生が以前、旧赤穂村役場庁舎について書いていたことを知っていたので、無理だろうと思いながら講演の依頼をしたら、快諾していただいて、こっちが慌てたくらいです(笑)。

展示も、写真や資料がきれいな状態で残っていて、見ごたえがありました。

春日さん
これだけの人間的な魅力を持った人が、東伊那にいたということをこれからも伝えていきたいと思っています。今回展示した写真や資料は、展示会が終わった後は市郷土館へ移して、常設展にする予定です。
私はさらに多くの人に伝えたいと思っていて、今、文四郎さんの波乱万丈な人生を劇にしたいと考えています。エピソードが豊富で、高校(当時の飯田中学校)を中退したり、鉄道員になって大けがしたり。渡米したことや奥さんとの出会いも、ロマンがある。いつかはドラマ化したいですね…NHKの朝ドラとか、いいんじゃないかな。

写真:東伊那地域住民による区誌編纂

区誌をきっかけに動き出した「未来へのプロジェクト」

現在、区誌は絶賛編集中で、完成は令和7年度中の予定です。そして来年の150周年に向けて、「東伊那150年プロジェクト」も動き出しています。

区誌の編纂事業は地域にどのような影響を与えていますか?

春日さん
区誌をきっかけに、さまざまなところとのつながりが生まれています。例えば、東伊那小学校には、先生方の地域研修をコーディネートしたり、地域の学習教材を提供したりしています。東中学校には、「ふるさと学習」として、中学生にデジタル化作業の体験会に参加してもらっています。

地域の子どもたちも参加しているんですね。

春日さん
ほかにも、オーラルヒストリーとして「昔の東伊那を語る会」を開催しています。地域の大先輩に話を聞いて記録する。最初は「そんなしゃべることはない」と言っていても、皆さん始まると1時間くらいは話してくれます。あとは、シチズンサイエンスの手法を取り入れて、現在の生態系を記録する「東伊那シチズンラボ」も始まり、アンケートを取りました。毎年とは言わないですが、定期的にデータを集めながら、継続して取り組んでいきたいです。

  • 写真:東伊那地域住民による区誌編纂「昔の東伊那を語る会」
  • 写真:東伊那地域住民による区誌編纂

春日さん
区誌の3つ目のコンセプトは「地域資料研究の更新を見据えた区誌全体のデジタル化」、そして最後の4つ目が「今だから聞ける、今でしか聞けない『東伊那の思い出』」です。デジタル化した資料をどう活かすのかが課題で、定期的にテーマを決めて発表するなど、リアルな場とも連動させていきたいと考えています。昨年は「東伊那大甲冑展」、今年は「伊藤文四郎回顧展」だったので、毎年何か企画していければいいですね。自然編も一緒に進めているので、地質とか、鳥、動物、キノコ…など、そういうこともやっていければ。

本当に区誌をきっかけに、たくさんの企画が生まれているんですね。

春日さん
「東伊那150年プロジェクト」も区誌の話から生まれたので、そう考えると全部つながっていますね。プロジェクトは150年の歴史を学ぶだけではなく、この先の未来、これからの東伊那の150年を見据えた活動をしていきたいと思っています。流行りの言葉で言えば、サステナブルな地域、持続可能な地域にしていくにはどうしたらいいのかを考えていかなければいけない。
江戸時代の地方の状況というと、貧しくてつらい暮らしを強いられていたような印象があるかもしれませんが、東伊那の人々は武士と対等に話をしたり、江戸へ行ったりと、縮こまって生きていたわけではないということが、編纂作業を通じて分かってきました。そういう部分も発信しながら、地域の魅力を高めるためにも、まずは150周年をお祝いすることから始めようと思っています。

楽しみなプロジェクトも動いていますね。

春日さん
クラフトビールの醸造や、地域に豊富にある竹に着目した取り組み、そして先ほども触れた地域資料のデジタル化事業など、いろいろと動き始めています。「地域文化への敬意の念」を共有しながら、皆さんと一緒に同じ目的に向かって努力していければと思っています。

写真:東伊那地域住民による区誌編纂

昨年4月、公募によって決まった区誌の名称は「峯(みね)高く」。シンボルである高鳥谷山、そして東伊那の明るい未来をイメージして付けられたと言います。
地域住民による区誌の編纂は記録作業の枠を超えて、地域が持つ魅力を再発見するきっかけとなり、地域住民の一体感にもつながっています。そしてアナログとデジタルのハイブリッド版という新たな区誌のかたちは、新たな地域づくりのヒントにもなるはずです。区誌の完成、そして未来の東伊那を描く150年プロジェクトの今後が楽しみです。

取材・文:山口敦子(タナカラ)
撮影:古厩志帆

駒ヶ根市郷土館

駒ヶ根市郷土館
駒ヶ根市赤穂24

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