
「福祉と社会の架け橋に」 ナナイロが描くインクルーシブな未来
2024年11月10日から、長野県松本市をはじめとする5市町33カ所で「対話アート」と題したインクルーシブアートのイベントが開催されました。会場は美術館やギャラリーではなく、図書館や公民館などの公共施設や、駅、銀行、カフェ、パン屋といった人々の暮らしの中にある場所。通勤の途中や、ふらりと立ち寄った店先でアートに触れる。そんな予期せぬアートとの出会いを見越してのことでした。
この「対話アート」をオーガナイズしているのは一般社団法人ナナイロ。「障がいのある人とない人の接点を創る」ことをミッションに掲げ、2022年2月22日に設立された団体です。アートを通して、インクルーシブな世界の架け橋を目指す代表の中山拓郎さん、創立メンバーである井出ちひろさんにお話を伺いました。

選択肢を広げるために、社会を巻き込みたかった
ナナイロが立ち上がる数年前、中山さんはコワーキングスペースを運営していました。しかしそもそも地方はコワーキングスペースで働くような仕事が少ない。その中で多くの女性が短時間で働くことや、副業に興味を持っていることを知り、そこに可能性を感じました。男性に比べてライフスタイルの変化で働けなくなってしまうことが多い女性は、働きたい気持ちとは裏腹にキャリアが断絶されてしまうことがあります。それは地方が貴重なリソースを失っていることにつながるのではないか、と考えたのです。
中山さん
「2016(平成28)年頃、私が経営するIT会社では、ウェブデザイン、コーディング、ライティングなど在宅で仕事ができる職種に特化した養成講座を開設しました。受講生の中には、介護や子育てといった環境による障がいで希望するほど働けない人が多くいて、改めて在宅ワークや短時間労働の重要性を再確認していきました」

数年後、世界を席巻したパンデミックをきっかけに、在宅ワークや副業が一般的になり、働き方は劇的に変化します。中山さんがコワーキングスペースを運営していた頃に思い描いていた未来が、ようやく形になってきた瞬間でした。中山さんのお子さんに障がいがあることがわかったのは、ちょうどその頃だったといいます。
中山さん
「親がずっとそばにいることはできない。ならばどうするのが娘のためになるのだろう、と思いました。行政のサービスを受けるだけでいいのか。むしろ、障がいのある人たちが社会とどうつながるのかを考えるべきじゃないか、と。娘が養護学校に進むべきか、支援級に進むべきかも悩みました。幼稚園では周囲の友達から良い刺激を受けていたので、本人が背伸びできる環境がいいなという印象はありました。でも公立の小学校ではずっと在籍することは難しい。最初はフリースクールを創ることを考えましたが、自分のリソースをそこまで割ける状況ではありませんでした。だからこそさまざまな人たちとつながりながら、障がいのある人たちの選択肢を広げるために、一緒に考える場を作る必要があると考えたんです」
素人もプロも関係なく対話できる場をつくる
お子さんが自立する頃には、より多くの選択肢がある社会になっていてほしい。その思いから、中山さんは団体設立を決意します。そして、その志に共鳴したのが、養成講座の受講生の一人だった井出さんでした。
井出さん
「私たちに何ができるだろう、というところからのスタートでした。例えば福祉サービス運営するならばどうしたらいいか、就労継続支援A型やB型について調べるところから始めるくらい、私たちは何も知らなかったんです。調べていくうちに、松本ではA型もB型も増えてきているということがわかってきて、もうすでに他の人たちや団体が熱意をもって取り組んでいる分野なのだと知りました」

中山さん
「すでに福祉に関わる人たちが取り組んでいることをやっても、あまり価値を作れないのではないか、と話し合いました。リサーチしている中でももう少し福祉がつながっていると、障がいのある人たちにとって、もっと選択肢が見えやすいのに、と感じるようになりました。情報が必要な人に届いていない可能性がある、そこに自分たちができそうなエリアかもしれないと思ったんです」
井出さん
「そうして企画したのが『ナナイロ会議』と題した対話型ワークショップでした。何の分野でもそうですが、プロとしてやっている人が自分の領域を話すことはあっても、一般の人たちがプロの中に入って話をするのって難しいですよね。話したいけど話せない、そこには見えない境界線があって、対話できる雰囲気でもない。だからこそ対話できる場所って必要だよね、と」
中山さん
「障がいに関する課題は、周りの受け取り方で大きく変わるし、当事者自身がどのように伝えるかも重要です。それは、誰かが解決するのではなく、一人ひとりが対話を重ねることでしか前進しません。そこで、最初のナナイロ会議のテーマを『自分の取扱説明書を作る』としました。企業や自治体が支援の難しさを感じていた『グレーゾーンの人たち』に焦点を当てたかったことも理由のひとつです」
言語という障がいの影響を受けないアートを架け橋にする

対話を重視したイベントを経て、ナナイロは少しずつアートに着目し始めます。井出さんはアートを「受け取る側も自由に、表現する人も自由に、言うなれば言語という障がいの影響を受けないもの」と表現。一方で中山さんは、社会で生きていくためには、既存の学校で数値化されるレベル分けをフリースクールでもしなければならない現状について疑問を持っていました。
中山さん
「フリースクールでも、従来の教育のフレームの中での選択肢とつながっている。その構造だけでは、障がいのある人たちの選択肢は増えていかない、と思いました。
『障がい』という言葉は強いので、その時点で多くの場合、先入観に囚われてしまう。その先入観なく、障がいのことを知ってもらうためにアートがツールになるのではないかと考えました。私自身はアートに知見もなく、どちらかというと苦手意識がありました。マツモトアートセンター代表の北澤一伯さんと信州大学の金井直先生との雑談の中で、金井先生が『アートは強制的に人を個にさせる。その人が作品と対話し、向き合うものだ』という話をしてくださったことが、対話アートという言葉が生まれたきっかけとなり、私たちの方向性を後押しいただきました」
こうして2022年に第1回目の対話アートがスタート。キュレーターは北澤さんの紹介で知り合った小川泰生さん。小川さんは障害者支援施設「長野県西駒郷」(駒ヶ根市)に勤務し利用者のアート活動を支援する傍ら、美術作家としての活動もされている方です。
中山さん
「私自身、アート自体をほとんど知らなかったので『飾っておけばいいんじゃない』くらいの軽い気持ちでいたんです。だけど小川さんと出会って、どのように見せるかがいかに大事かということを学ばせていただきました。障がいのある方が何かを描けばそれが自動的にアートになるわけじゃない。アートに対する視点を持っている人だからこそ、障がいのある方の能力を引き出せるのだと気付きました。
同時に、障がい者アートというものを世の中に普及し、一般的にしていくためには、それを変換する人を増やしていかなければならないと思うようになりました。障がいのある人は何も変わっていないのに、世の中には彼らを見るための偏ったフィルターが存在する。そのフィルター越しに彼らを見ている限り、作品そのものの価値や世界観を理解してもらうことは難しい。頭では価値を認識していても、心が追いついていないんですよね。そこで必要になってくるのがクリエイティブの力なんです」
井出さん
「1年目は『若者世代を巻き込む』ことが課題でした。インクルーシブやダイバーシティといった概念は、若者世代は当たり前でも、年配の方々にとってはそうじゃないことが多い。これは生きてきた時代や法律の違いも影響しているから、対話できる場をつくりたいと考えました。
さらにこれは現在にも続く流れですが、アート展を地域の人々が集まる公共施設で行うことで、アートを日常に溶け込ませたいという狙いがありました。実際会場となった図書館では本を借りに来た人が展示に興味を持ち、イベントに来てくれたこともあったそう。八十二銀行のウインドウギャラリーを目にしたバス待ちの人から、感動したとメッセージをもらい、Mウィング(松本市中央公民館)では勉強していた学生が絵を見て筆談で対話しているといった反応が寄せられました」

回を経て浮き彫りになっていく課題と目標
中山さん
「1年目を終えたとき、それまで働き方についてアプローチしてきたことを踏まえ、この先10年で重要なのは『自分が何をしたいのか表現すること』だと思いました。アートを見る人を増やすことで、表現することに対して肯定される社会になれば、自分たちがやろうとしていることも認められるのではないか、と。そこで2年目はマツモトアートセンターの一部を改修し、誰もが利用できるアートスペースをつくるクラウドファンディングを立ち上げました。コワーキングスペースを運営していた経験から、情報化社会の中では『フラグになる場所』の存在が重要だと思っていたからです」
井出さん
「1年目からアーティストのカミジョウミカさんとずっと関わって頂いていましたね。ミカさんは普段自宅でアート活動をしていますが、外で活動してみたいという思いを持っている一方で、外に行くと介助する人や両親が来なければならないというハードルの高さも感じていました。そこでアートセンターで何かできないかと考え、画家の弓指寛治さんとコラボして作品をつくろうという企画が実現しました。ミカさんの体調のこともあり、ふたりが一緒に制作することは叶いませんでしたが、ミカさんが自宅から離れアートセンターで活動する機会を持つことができ、ボランティアの人たちも一緒に作業をするという時間を設けて、交流を図りました。
その際に課題となったのが、トイレの問題。障がいのある方にとって環境が違う場所で活動することについてある程度は予期していたものの、まだまだ見落としていたところがあると気付かされました」
現在、マツモトアートセンターのトイレはバリアフリー仕様に改修されています。どれだけ配慮を重ねても、実際に取り組んでみなければ見えてこない課題がある。そうした課題に直面するたびに改善を重ねていくことで、団体としての厚みや実践的な知見が増していくのでしょう。

活動を継続していくために必要なこと
中山さん
「3年目はどうやって継続していくかということに重点を置き、2年目よりも長期的な視点を持って支援してもらえる企業を獲得したいと考えていました。対話アートは翌年のためのデモンストレーションでもあるんです。企業が支援しやすい活動であるために、アート展としての品性も保ちながら、どうビジネスを巻き込めるか、ということを試行錯誤しています」
井出さん
「もうひとつの課題としては、障がいって一言で言ってもさまざまな障がいがあるよね、ということ。いわゆるグレーゾーンの人から『障がい者アート展なら出たくない』『私は障がい者ではない』と言われたこともありました」
中山さん
「もともと『障がい』という言葉を使わず『障がい』について知ってもらうアート展でしたけれど、どうしても障がいという言葉が先行してしまう。そこで3年目はインクルーシブアートという言い方にしてみたり…。毎年この議題から始まりますが、いまだに議論し続けていることなんですよね。ただこの議題を話すことこそが、アート展をやる意義だとも実感していて。互いのスタンスについて話すきっかけが対話アートであればいいなとも思います」
3年目の2024年は公共施設だけでなく店舗などでも「街中アート」を展開したことで、店舗と作家とのあいだに関係性が生まれただけでなく、売り上げが増えたという声もあったそう。
ナナイロが伝えたいことは、障がいのある人たちは支援される立場という側面だけでなく、彼らも社会に貢献する生産者の一人であるという側面も持っているということ。アート展がきっかけで店舗として何らかのメリットがあったという実績を作っていくことができれば、障がいのある方たちも社会に貢献していることを事実として伝えていける、と考えているのです。

これからのナナイロが向かう場所
さらに2024年は、下諏訪町、安曇野市、上田市、長野市に規模を広げて対話アートを展開。参加キュレーターも増え、大きな飛躍を見せます。実は対話アートにはNAGANO WEEKという枕詞がついており、これは初年度から長野全域でアート展をやることを見据えてのことでした。
中山さん
「範囲が広がり、キュレーターさんが増えたことで、キュレーターさんの持つ多様性を強く体感したとともに、これが混ざり合えばもっと面白いだろうな、という気持ちが湧き上がりました。難しいことかもしれませんが、上田を担当したリベルテさんが松本や諏訪で展示をするといったことが実現したらうれしいですね。
また今年度は結果的に店舗を巡るようなアート展になりましたが、将来は長野県の中でアートを循環させ、企業や店舗が絡む企画展を展開したいと思っています。企業や店舗が『これは自分たちのアート展です』と言えるフォーマットを作り、展示ひとつひとつを自身のイベントとして扱ってもらえるようになれば、より理解も深まるのではと感じています」
設立からこれまでの活動を振り返り、まだまだ福祉業界との繋がりの弱さを再認識したという中山さん。それを踏まえてナナイロが福祉と社会のつなぐ線になれたらいい、と語ります。
安曇野会場(キュレーター:石岡享子/NPO WHITE CANVAS)
上田会場(キュレーター:NPO法人リベルテ)
長野会場(キュレーター:ささきりょうた)
下諏訪会場(キュレーター:いまいこういち)
中山さん
「私たちのミッションである『障がいのある人とない人の接点を創る』目的は、障がいのある人たちの選択肢を増やすための支援を広げることなんです。それが結果的に子どもたちの選択肢につながっていくと信じています。
今、福祉業界では人材不足が叫ばれていますが、福祉のポジティブな情報発信ができれば、また新しいビジネスが構築されれば、もっともっと変わっていく気がするんです。私たちナナイロはそこを担いたい。その手段としてのアートであり、メディアである。そう考えています」
ナナイロの挑戦は、アートを通じて福祉と社会の垣根をなくし、新たなつながりを生み出すことにあります。支援する・されるという一方通行の関係ではなく、誰もが共に創り、共に生きる社会へ。そのために対話を重ね、実践を積み重ねながら、少しずつ理想に近づいていくのでしょう。これからナナイロがどんな景色を描き、どんな未来を創っていくのか。その歩みに引き続き注目していきたいと思います。
取材・文・撮影:プリチャード香里
写真提供:一般社団法人ナナイロ