~横山タカ子さんが語る信州の食文化~伝統野菜と郷土料理
「CULTURE.NAGANO」では「食」もカルチャーの1つだと捉えています。広い長野県では、多様な食文化が、地域ならではの風土と暮らしから生まれてきました。翻って言えば、地域の食にスポットをあてることで、長く引き継がれ次世代に残していきたい人の営みと、信州独特の文化が見えてくるのだと思います。
今回は、地域の食文化の土台とも言える「伝統野菜」から、暮らしと「郷土料理」について見ていきます。
ある日、『信州伝統野菜認定委員会』座長、『おいしい信州ふーど』公使なども務めていらっしゃる料理研究家、横山タカ子さんを訪ねました。先生に「食文化」について伺うと、発酵、漬物、粉食、乾燥野菜など、気になるキーワードがいろいろと出てきます。
「信州は野菜が収穫できるのは1年のうちの半年、夏から秋にかけての時期だけでしょう。昔は、その間に穫れたものを残りの半年にいかに保存し、美味しく食べ回すかということに知恵をめぐらせました。各家庭の味でもあるお漬物などは長く保存できる、最たる食べ方ですよね。しかも発酵食品ですから、余計に、体にもいいんです。1年中なんでも穫れる暖かい地域、魚がたくさん獲れる海辺などは郷土料理や保存のための工夫は意外と少ないんです。だから、おっしゃるように、たしかに食は文化と言えますよ」
そうした知恵をめぐらせた対象こそが、「伝統野菜」です。戦後は交通網が整備され、流通が発達したおかげで長野県の美味しい野菜も全国へ出荷されています。その流れのなかで、野菜も運送に適した形に改良されていきました。一方「伝統野菜」は、ある一定の地域で穫れ、そこに暮らす方々によって消費されることが多い野菜。そして形も味わいも個性にあふれているんです。
地域固有の野菜を守り、次世代に引き継ぐ「信州伝統野菜認定制度」という取り組み
長野県では、地域固有の食文化とともに育まれてきた野菜を守り、次世代に引き継いでいくため、平成18年に『信州伝統野菜認定制度』を創設しました。地域の気候風土に育まれ、昭和30年代以前から栽培されている品種であること(来歴)、当該品種に関した信州の食文化を支える行事食・郷土食が伝承されていること(食文化)、当該野菜固有の品種特性が明確になっていること(品種特性)の3項目を調査し、一定の基準を満たしたものが「信州の伝統野菜」に選ばれます。つけな・かぶ、ねぎ、とうがらし、なす、きゅうり、かぼちゃ、うり、ゆうがお、いちご、いんげん、とうもろこし、ばれいしょ、だいこん、にんにく、ごぼう、さといも、わさびと、その数は令和2年4月時点で77種類にもなります。
「伝統野菜のなかには江戸時代から栽培されているものもあります。その伝承地の土と、そこに当たる太陽と、降る雨と、吹く風があって独特の形状、性質、美味しさを成す野菜が生まれるわけです。ある野菜の種や苗を別の地域に持っていって植えても同じようにはならない。それが不思議で面白いですよね。
たとえば野沢菜は誰もが知っているでしょう。でも野沢温泉村の方々によれば、まず健命寺(野沢菜発祥の地の碑があるそう)の寺種であることが重要。しかも野沢温泉村で穫れたものならなんでもいいかと言えば、そうじゃないんですって。秋が深まると、千曲川から生まれる朝霧を山がせき止めるんですけど、その麓で育ったものじゃないと野沢菜とは呼ばないんだというくらい厳密なものなんです。
私はいろんな地域に伝統野菜の調査に伺いますが、“この種は何代目のおばあさんが嫁に来たときに、どこどこから持ってきたもの”という話をよく聞きます。たとえば木曽周辺に『信州の伝統野菜』に認定した野菜が多いのも、山間なので人の行き来が少ないがゆえに、交配することもなく、種が大事にされてきたからなんです。よく街中のお店で伝統野菜の種が売られていることもありますが、先ほども申し上げたように、よその地域で育てても決して同じにはなりません。そういう意味で、ある地域でしか育たない伝統野菜を守っている『信州伝統野菜認定制度』はとても重要な取り組みです」
伝統野菜を使った郷土料理は、手早くできて、その野菜の特徴を生かした美味しいものばかり
「信州の伝統野菜」の選定には、その野菜にまつわる郷土料理が伝承されていること、という基準があります。私は料理研究家ですから、特にそこに興味があるんです。伝統野菜に関する郷土料理の多くは、包丁もまな板も使わずに、お鍋一つあれば調理できるような手間のかからないものばかり。特に夏は農家の皆さんは農作業で忙しいですから、短い時間で、簡単に調理できる、そして美味しくいただけることが大事で、ありがたいわけです」
横山さんの口からは、資料を見るわけでもないのに次々と野菜の名前と調理方法が飛び出してきます。その話を伺っていると、まるで目の前でサクサク調理してくださっているようです。
「東信の<ひしの南蛮(なんばん)>の煮物は油でコロコロ炒ってから、煮干しと醤油とみりんで煮詰めるだけ。北信の<常盤牛蒡(ときわごぼう)>は、たわしで皮を洗ったら皮をこそぎ取ることもせず、筒切りにして軽く油で炒ってから砂糖と醤油とみりんで煮詰める。筒切りで大きいままの方が千切りするより栄養価も残るというデータもあるんです。南信では<清内路(せいないじ)にんにく>、<下條にんにく>など、にんにくが伝統野菜になっています。にんにくの芽が出るのとハチクの時期が同じだから、それをきんぴらにして食べるんです。いろんな地域でその地の伝統野菜を使った郷土料理に出会うと、信州の方々は昔からこうやって栄養や食物繊維を摂っていたんだな、だから健康なんだなと実感させられます」
77種類の「信州の伝統野菜」のうち、先生が教えてくださった野菜のいくつかについて、生産者の方にお話を伺いました。すると異口同音に「そんなに貴重な種類だとは思わなかった」という言葉が返ってきました。つまり、そのくらい身近で、日常のなかで当たり前に育て、食べてきたものだったことがわかります。
「私は長野県の野菜を思うとき、どんな野菜も畑の土が調理してくれていると思っているの。農家の方々がいい堆肥を土に施して、美味しい野菜をつくろうと努力してくださっている。だからこそあまり手を加えずに、素朴な調理方法でいただくことを大事にしているんです。その方が野菜そのものの美味しさ、栄養価に触れることができるから。
若いうちはそういう郷土料理に食べ飽きて、ハンバーガーやパスタなど、いろんな美味しそうなものに憧れますよね。私もそうでしたから。でも結局はいつか郷土料理に、食べつけた味に戻っていくんです。それも不思議ですね。そういう深く面白い生活の知恵が詰まった食文化を、ぜひ皆さんにも知っていただきたいと思います」
知ってた?これも伝統野菜!
77種類ある「信州の伝統野菜」すべてを紹介したいところですが、横山さんにご無理を言って、長野県の北信(県の北部)、東信(県の東部)、中信(県の中部)、南信(県の南部)と区分けされる各地域と、伝統野菜が数々認定されている木曽地域から6つの伝統野菜を選んでいただきました。そして伝統野菜を守る、生産者の皆さんに一言コメントをいただきました。
これから夏に向かって、野菜王国・信州ではたくさんの野菜がどんどん穫れる時期になります。たまには地域の野菜の直売所や道の駅などを覗いてみるのはいかがでしょう?
もしかしたら、規格どおりのスマートな野菜たちの隣に、どこか親しみある、さまざまな表情をした個性あふれる伝統野菜に出会えるかもしれません。
取材・文:いまいこういち(サイト・ディレクター)
インタビュー撮影:阿部宣彦
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<常盤牛蒡(ときわごぼう)>(飯山市常盤小沼)
写真提供:飯山市農林課常盤牛蒡の太煮
写真提供:いいやま食文化の会
来歴天保年間(1830~44)に天領だったこの地区に、江戸滝野川の「赤茎牛蒡」の種子が導入され、栽培が始まりました。
郷土料理きんぴら、丸煮、しぐれ煮や炊き込みご飯など。横山さんが語ってくださった、ごぼうの太煮は御講仏(おこうぶつ)さんの日などに食べたそうです。
品種特性太さ8センチ、長さは1メートルにもなる、とても大きな牛蒡です。
「この地区は千曲川の水害が多く、肥沃で柔らかい土壌の砂地だったからこそ栽培が根付いたのだと思います。普通、牛蒡はすらっとしている。でも常盤牛蒡は茎の部分が細めで、下のところが長太り、そして先が細いという形状が特徴です。そして身が太く、皮も一緒に食べられるくらい柔らかい。アクも少ない。そして何よりも香りがいいんですよ」
(JAながの みゆき営農センター あぐりサポートみゆき 常盤ごぼう部会 高橋正和さん)
<小森茄子>(長野市篠ノ井東福寺小森)
写真提供:県園芸畜産課小森茄子の焼き浸し
写真提供:銀座NAGANO
来歴明治中期に始まりました。昭和50年代以降下火になったものの、2軒の農家により保存継承され、復活栽培につながっているそうです。
郷土料理茄子のシギ焼き、芯焼き、おやきの餡、てんぷら、辛子茄子漬けなど。
品種特性黒味が強い紫紺色、約250~350グラムにもなる大きな茄子です。しかも1本の樹から30~40個も収穫できるそう。葉や実にあるトゲが特徴です。
「育て方に難しいところがあって、交配種に押され、一時は絶滅しかけたこともありました。今から10年くらい前に原種から種採りをして、丁寧に栽培し、ここに来てようやく復活してきました。併せて丈夫で病気に強い接木苗を育てることにも注力してきましたが、茄子には“千に一つも無駄はない”と謂(いわ)れがあるとおり、1本の樹に本当にたくさんの実がなるようになりました」。現在、“小森まるこ”の愛称でPR。
(おいしい信州ふーど/信州東福寺小森なす本舗 滝澤知寛さん)
<ひしの南蛮(なんばん)>(小諸市菱野)
写真提供:小諸市農林課ひしの南蛮の含め煮
写真提供:県園芸畜産課
来歴昭和18年ごろ、戦争帰国者が朝鮮半島から持ち込んだ種子を使って栽培したことが始まりと言われています。
郷土料理まるごと醤油煮、てんぷら、炒め物、焼き物などで食べます。地区の行事食で使われることも多いようです。
品種特性大きさは卵の半分くらい、形状はパプリカに似ています。肉質は軟らかく、苦味と甘味の感じられる、独特の風味が特徴です。
「昔はひしの南蛮という名前もなく、この地域では“あの南蛮、あの南蛮”で通っていたものでした。成熟する前の小さなうちに収穫するため、果肉が薄く柔らかく、種やヘタまで丸ごと食べられるんです。その柔らかさは、炒めるときに箸は使わないように、購入されるお客様にわざわざ伝えるほど。そして調理するとさらに小さくなるので、子どもでも10個くらいは平気で食べられます」
(眺望一番ひしの直売所組合長 原田義政さん)
<番所(ばんどころ)きゅうり>(松本市安曇番所)
写真提供:乗鞍生産者組合
来歴来歴は不明。昭和初期から栽培が始められ、現在も続いています。
郷土料理以前は主に漬物にされていました。冷やして調味料をつけて食べたり、浅漬けするなど。
品種特性形状は太く短く、長さ約20センチほどになります。中心の種の部分はゼリー状で、丸ごと食べられます。
「夏の農作業でも、これ1本あれば水筒の代わりに水分補給ができる瓜(うり)です。乗鞍という昼夜の寒暖差がある地域だからこそ、みずみずしさと甘みのあるものになるようです。標高の低いところで栽培するとパサパサしてしまうんです。旅館業をしながら栽培しているお家が多く、お客様にお出ししています。あとは地域のスーパーに並ぶ程度で、ほとんど地元で消費されています」
(乗鞍生産者組合 筒木和子さん)
<王滝蕪(おうたきかぶ)>(王滝村)
写真提供:王滝村役場経済産業課
来歴村内に残る約300年前の古文書に、尾張藩へ年貢として献上した記録があります。芭蕉の開いた句会の連句に、木曽の「酢茎」として取り上げられています。
郷土料理蕪は粕漬けや甘酢漬け、または干してだし取りなどに使いました。葉部は、すんきに利用されています。
品種特性草丈はあまり高くなりませんが、葉柄は太く、基部まで小葉がつきます。カブの形状は長円形の物が多く、肉質は緻密でやわらかいのが特徴です。
「蕪は味も歯ざわりもよく、お漬物用として人気が高いんです。葉の部分は昨今注目を集める、すんきに。すんきは冬の食生活に欠かせないもの。木曽の赤蕪と言って近隣の村々には独特の種類があり、それをすんきに使うんです。王滝村ではもちろん王滝蕪を使います。味噌汁に入れたり、すんき蕎麦などにして食べます。特に味噌や醤油など発酵製品と相性がよく、合わせると独特の美味しさが生まれるんです」
(王滝村役場経済産業課 溝口孝博さん)
<下條にんにく>(下條村)
写真提供:県園芸畜産課下條にんにくの穂のバーベキュー
写真提供:生産組合組合長
来歴明治の終わりから栽培。品種成立の起源は不明ですが、養蚕が盛んだったころに、蚕業指導員から農家に広がったという説もあります。
郷土料理鱗片は干したのち粕漬け、醤油漬けに。茎は炒め、香りや辛味が強い穂は卵とじなどで食べられています。
品種特性皮は紫色で、香りが強く、味が濃いのが特徴。生では辛いのですが、国産にんにくの中でも糖度が高めで、加熱すると甘くなります。
「シンプルな素材を一気に主役にしてしまうほどの、強い香りが特徴です。香りの移り込みが強いぶん、飛びも早いので翌日には残りません。この強い香りと赤紫の表皮が静岡、愛知への道筋にあるにんにくとよく似ていて、ルーツはそちらにありそうです。でも下條村は高地のため、ゆっくり育ち、より大粒になります。種の休眠時期が短く、保存が難しくて流通に適さないぶん、地域に広がるというよりは各家で大事にされてきたようです」
(生産組合組合長 佐々木賢さん)