アーティストは未来を見つめる『頑張るアーティスト応援事業』Part2
このたびの新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、県内でも多くの音楽や演劇の公演、美術展示などの文化イベントが感染拡大防止のために中止・延期となりました。これを受け、長野県では『頑張るアーティスト応援事業』を通して、発表の機会を失ったアーティストや団体の支援に取り組んでいます。密閉、密集、密接の「3密」を避け、感染防止対策を講じた創作活動による、オンラインで鑑賞可能な作品を募集しました。「CULTURE.NAGANO」内の特設サイト「ARTS CHANNEL」では、次々とその活動成果である映像作品が公開されています。長野県ゆかりのアーティストが今この時期に創造したバラエティに富んだ作品たちから、皆さんも、さまざまな思いを受け取ってくださったことでしょう。
さて、特集Part2では『頑張るアーティスト応援事業』に採択されたアーティストから、画家の越ちひろさん(千曲市)、和太鼓奏者の佐藤健作さん(長野市)に、このコロナ禍による影響や変化、『頑張るアーティスト応援事業』での創作に込めた想い、さらにはこれからの活動の展望などをお伺いしました。
「頑張るアーティスト応援事業」の詳細は、こちらをご覧ください。
『越ちひろ LivePainting “ヒカリノイロ”』テーマ型
県からいただいた支援は、より多くの皆さんに私の表現を届けるためのもの
「私は常に誰かの心にポッとポジティブな気持ちが灯るような作品を届けたくて、ずっと光をテーマに描いてきました。でもコロナによる感染が拡大するなか、よりそうした絵を描く存在でありたいという想いが強くなったんです」と越ちひろさんは語ります。
絵の具まみれになって大きなキャンバスに立ち向かうライブパフォーマンス、子どもたちに絵を描く楽しさを伝えるワークショップ、飲食店の個性に彩りを添える壁画、日本酒のラベル、プロバスケットボールの信州ブレイブウォリアーズとのコラボグッズ、代名詞とも言える“ちひろピンク”を軸に、カラフルな色使いをする越さんの作品は、さまざまな活動を通して私たちに幸せな気分を届けてくれています。
また長野市や上田市の美術館での個展を経て、2019年8月から10月に地元・千曲市で開催された『越ちひろ展 ミライノ色 ミライノ光 ―まちじゅうが美術館―』では企画のインパクトもさることながら、30カ所を超える会場から、作品の数々が街を明るく照らしていたのが印象的でした。
- クマをモチーフにしたワンダちゃん(『越ちひろ展ミライノ色 ミライノ光』)
- ドレスともコラボ(『越ちひろ展ミライノ色 ミライノ光』)
誰かにエネルギーを届けることは
絵を描くことに当たり前に含まれる要素
越さんの活動に新型コロナウイルス感染症が影を落とし始めたのは4月の半ば。野外でのインスタレーション展示や壁画製作、地域のイベントなどが延期になりました。多くのアーティストにも言えることですが、越さんの活動や表現もまた活気ある日常があってこそ輝きを増していくものです。たとえば長野市を中心に、東北信地方のいくつもの飲食店で越さんは壁画を手がけていますが、これまで縁があったお店はもちろん、すべてのお店に、街に、早くこれまで通りのにぎわいや笑顔が戻ることへの願いを口にしていました。
越さん
「飲食店にとっては多くのお客様が足を運んでくださることが最高の支援となります。飲食店の皆さんもアーティストと同じで、料理に腕を振るっておもてなしする機会がなくなることが一番つらいはず。世界中が苦しい状況ですから心が病気になってしまうこともあるでしょう。だからこそ私は私自身にできること、つまり作品を通して少しでも多くの皆さんの心を豊かにしたり、人生をハッピーにしたいんです。皆さんが頑張ろうとするエネルギー、仕事に向かう元気を取り戻せるような支えになりたい。もちろんそれは絵を描くことの要素の一つとして当たり前に含まれることなんですが」
- 長野駅ビル「MIDORI」 での壁画制作(2015)
- インドの日本食レストラン「MATSURI」にて(2014)
コロナ禍でのベストを目指して
全力で挑む
これまでの日常を取り戻したい、という思いがある一方で、変化の中から生まれてくる発見もあります。越さんが参加予定だった地域のイベントは中止や延期になりましたが、実はこの期間に個人のお客様からの創作依頼が増えたそうです。
越さん
「作品の依頼をしてくださる方々からは、アートの必要性を感じて私の新作を手に入れたい、気持ちを明るくするものに寄り添いたいという気持ちが見える気がします。『まちじゅうが美術館』のときは、半年間で60点くらい描いたんですよ。睡眠時間を削って3日で2枚仕上げるペースでした。イベントのお仕事も含め、これまでは忙しさの中で作品を仕上げていましたが、コロナ禍では時間に追われることもなく、一つ一ついい作品を生み出せていると思います。自分の中で何を描きたいのかもはっきりわかる。決められた期間にたくさんの作品をつくる経験も勉強になりましたが、丁寧に描き濃密な時間を過ごせている今にもとても感謝しています」
そして、令和3年2月から千曲市を走行予定のラッピングバスを飾る絵を、子どもたちと越さんが共同製作したワークショップは、まさに新しい生活様式を反映した形で実施され、越さんにとっても新たな経験となったようです。
越さん
「ワークショップは9月に予定されていましたが、対面では難しいということで急きょオンラインになったんです。私も子どもも直接絵に触れられない状態で、私から何を伝えられるか不安でした。もちろん実際に会ってお互いのことを感じること、実物の絵を見てもらうことは大事にするべきという前提はありますが、こちらが一生懸命に伝えようとすれば、ちゃんと思いを受け取ってもらえるんですよね。オンラインだからこそと頑張ったことで、子どもたちも必死に私の声を聞き、描いている手元を見てくれたんです。それがベストではないけれど、限りなくベストに近づけることがわかりました」
ライブペインティングの途中で
温かさが目立つ絵にしようと考えた
お話をうかがった9月15日の夕方、長野放送の情報番組内で、越さんはライブペインティングを行いました。絵を描いていく様子を編集・構成した映像が『頑張るアーティスト応援事業』の成果作品になるという企画です。
越さん
「県の事業のことは知っていました。でも一人で絵を描いてもなぁと消極的でいたら、以前にも仕事をご一緒したことがある長野放送さん、『シンビズム』(県内のアーティストにスポットを当てた長野県芸術監督団事業の展覧会企画)などで交流のある志賀高原ロマン美術館学芸員の鈴木一史さんから別々に同じお話をいただきました。じゃあ一緒にやろうか、いつもの私たちを出せばいいものができるよねということで参加を決めたんです」
会場は長野放送のスタジオ。普段のライブペインティングの半分の20分という制限時間。大きなキャンバスに向かう越さんは、爪先立ちで小さな身体を目いっぱい伸ばし、キャンバスの隅々まで色を乗せていき、後半には手のひらまで使って描いていました。
- ライブペインティングの冒頭は刷毛で描き始めた
- ライブペインティングのために準備された絵の具
越さん
「私にとって20分のライブとしてはありえない大きさのキャンバスだったんですよ。テレビだから小さいものを描いても仕方がないし、見てくださる方にエネルギーを届けたいという思いからそうしました。でもいざ描き始めたら間に合わないかもと怖くなって(笑)。最初は、黄色から始まってピンクになり、青系の色に移る、それが星になって宇宙色になるかなと思っていたんです。でも5分くらい描いたところで、これは明るい色で終わらせたい、温かさが目立つ絵にしたいと切り替えたんです」
黄色の光が広がり、ピンクの花が咲き乱れる世界を青い蝶々がリズミカルに飛び交うような、あるいは越さんのエネルギーが光の3原色に分解されてキラキラ輝いているような、完成した絵からはそんなイメージを抱きました。
- ライブペインティング終了直前に全体の様子を眺める
- ライブペインティングの仕上げは指で絵の具を飛ばす
越さん
「県の事業では私が支援される立場かもしれません。けれどアーティストとしては自分の表現が誰かに届いているか、創作したものを通して誰かとコミュニケーションできているかが重要で、支援していただくだけだとは考えていません。私にいただいた支援は、その表現がより多くの人に届くようにベストを尽くすためのもの。今日のライブペインティングでも、テレビやYouTube、このインタビューを通して、いろいろな方々に明るい気持ちになってもらえたらうれしいです」
自分の絵を通して
世界中の皆さんを笑顔にしたい
東京の美術大学を卒業して千曲市に戻ってきたころは、目指す方向について、東京で活躍する仲間たちの声に揺れていた越さんですが、故郷に根を下ろして、脇目も振らず描き続けてきた自信からでしょう、現在の言葉からは確固たる信念が伝わってきます。
越さん
「私は有名になりたいとかお金を稼ぎたいからとかではなく、自分にとっていつまでも続けられることだから絵を選びました。誰かのために絵を描くことは、アーティストとしての私のパワーになる。そして生きがいにもなる。今までもずっとそんな想いでやってきました。とはいえ絵を描く機会をいただいても、今まではギリギリお返しできたときもあれば、自分本位に描いていただけのときもあって。それも今は、“越ちひろ、またやってくれたね”という感じで、大きくお返しできるようになった気がするんです」
本拠地・長野県では、その絵を通して多くの人びとに光を届ける存在になった越さん。実は今年から、次なるチャレンジとして海外にも活動の場を広げていこうとしています。一つは、スリランカで偶然出会った女性との縁で、現地の貧しい子どもたちに画材をプレゼントし、その画材を使ったワークショップをライフワークとして実践していくこと。もう一つは、海外での活動の一歩目として、イタリアで壁画を中心にした創作を開始する予定でいました。コロナの影響がなければ、本来なら今ごろは海外にいたかもしれません。
「海外を旅することは好きでしたが、今度は自分の絵を広く海外にも届けたいと思っているんです。もちろん長野県は私にとって大事な場所ですが、海外との2本柱で活動するのが希望。叶うなら、今すぐにでも実現したいところです」
観る人に明るい気持ちを届け続けてきた“ちひろピンク”が長野県、そして日本を飛び出し、今度は世界の皆さんを笑顔にする機会が、きっとそう遠くはない時期にやってくるかもしれません。そんな越さんの活躍もまた、私たちにエネルギーを届けてくれるのです。
『天心 TENSHIN – The Center of the Sky』テーマ型
県の事業で表現する場をいただいた喜びが、作品を見てくださる方の力に変わる連鎖を起こしたい
戸隠の自然の中を車で走っていくと、高い木々に囲まれた、和太鼓奏者・佐藤健作さんの稽古場「是色館」があります。静かに陽光が差し込み、奔放に風が吹き抜けるかつて旅館の体育館だった木造の建物の中には、個人所有としては世界最大級の和太鼓「不二」が鎮座していました。
国内外で活躍する佐藤さんは、東京を拠点にしていましたが、太鼓や道具の保管、稽古で出る音に気を遣うことなく、大太鼓と日常的に向き合える空間を探すうち、ここ戸隠にたどり着いたのです。以来15年、住まいも善光寺界隈に移し、毎日ここ是色館にやってきては4時間ほど一人になって修練を積んでいます。
私たちを満面の笑顔で迎えてくださった佐藤さんは、あいさつもそこそこに「まずは聞いてください」と『頑張るアーティスト応援事業』のために製作した映像作品『天心 TENSHIN – The Center of the Sky』のラストに流れるタイトル曲を演奏してくださいました。不二の威厳ある音が振動し、空気や床を伝って私たちの身体の深部に響き渡ってくるよう。
すると「打ってみませんか」と佐藤さんはバチを手渡してくださいました。直径が4尺3寸、163センチの不二の打面を力強く打ったスタッフが「横綱に向かっているよう」と表現しましたが、まさに。そびえたつような佇まいもさることながら、懐の深さに圧倒されるような気持ちになりました。
コロナ禍でもいつもどおり
自分を見つめるために稽古場へ通った
- エディンバラにて
- 高千穂神社奉納
サッカーワールドカップ・フランス大会閉会式での演奏(1998年)、和太鼓界初の文化庁芸術祭新人賞受賞(2008年)、東日本大震災被災地無料公演「不二プロジェクト」(2011~2014年)、世界最大の芸術祭エディンバラフェスティバル・フリンジでのソロ公演(2016、17年)、イギリス国営放送BBCのラジオ番組「GLOBAL BEATS(グローバルビーツ)」にて世界で活躍する7組の音楽家の一人としてソロ演奏(2016年)など、バラエティに富んだ輝かしいキャリアを誇る佐藤さん。国内公演では、ミュージシャンよりダンサーなど身体表現を重視する表現者と数多く共演しています。
このコロナ禍では、7月~8月に女優の真矢ミキさんらと共演した『ドラマティック古事記2020 ~神々の愛の物語~』、8月にパリオペラ座契約団員のバレエダンサー・二山治雄さん(松本市出身)らと共演した『SHIVER』で国内をツアーしました。しかし実は今後のスケジュールの方が予断を許さない状態なのだそう。
- 国際的に活躍するダンサーと共演した『SHIVER』
- 『SHIVER』の終演後に共演者たちと(前列左が二山さん)
佐藤さん
「コロナ禍で、出演予定だったオリンピック関連の事業が中止、東京での太鼓教室も中止になりました。『ドラマティック古事記』はなんとか実現しましたが、やれるぞと決まったのが本番の1カ月前だったので皆さん大慌てでした。東京はスタジオが閉鎖され、稽古場の確保さえ大変な状況だったんです。第2波が来ていたので、検査など万全の体制をとりましたが、本番の幕が開くまではヒヤヒヤでしたね。妻が講師をしている都内の予備校も閉鎖になり、一時は収入がまったくありませんでした。ただ経済的な事情はあるにしても、僕はいつもどおり自分を見つめるためにこの稽古場で過ごしていました」
そんな時期にスタートした『頑張るアーティスト応援事業』は「ありがたかった」と佐藤さんは言います。
僕らの活動はいつも戸隠から始まる
そんな戸隠に僕らが感じている魅力を表現
佐藤さん
「是色館は3密になったりしませんし、稽古するための環境には困らないんです。でもコロナ禍では外部と接触する機会がどんどん失われてしまいましたから、『頑張るアーティスト応援事業』によっていつも一緒にやっているスタッフたちと創作ができる場をいただけたのは本当にうれしかったですね。撮影は2日間で一気に行いました。いざ撮影が始まると、ああでもないこうでもないとアイデアが膨らむんですよ。楽しくつくって、でき上がった作品が今度は見てくださった方の力になっていくという連鎖が起きれば、それが何よりうれしいことです」
- 鏡池をバックに(『天心』)
- 戸隠神社中社にて(『天心』)
『天心 TENSHIN – The Center of the Sky』のコンセプトは「太陽を取り戻そう、人びとの力を取り戻そう」(佐藤さん)。「地」「水」「火」「風」「空」のキーワードに合わせて戸隠神社の境内や参道並木で、しぶき飛び散る滝の前で、戸隠の山々が水面に写る鏡池で、佐藤さんの汗が染み込んだ是色館でと曲ごとに場所を変え、太鼓を変え、縦・横・斜めに、搗(つ)く、擦(こす)ると打ち方を変え、佐藤さんは和太鼓を演奏し続けました。完成した映像からは、佐藤さんの姿や精神性、さまざまな和太鼓の響き、紹介される戸隠の美しさが相まって深遠な空気を漂わせています。
佐藤さん
「譜面に書けば同じリズムですが、出てくるもの、感じていただけるものは和太鼓の種類、打ち方で違ってくるんです。それが和太鼓ならではの面白さ。そして僕らはいつもこの地で稽古して、すべてがここから始まる。パワースポットとして名を馳せている戸隠ですが、僕らなりに感じている美しさ、この地に宿る力を紹介したかったんです。生きること、文化芸術だけでなく、観光という切り口においても心が動くことが大事なので、『天心』がそのきっかけになりうるとしたらすごくうれしいですね」
- 戸隠神社の参道並木にて(『天心』)
- スタッフと是色館で準備(『天心』)
和太鼓は自分の中に生まれた衝動を受け止めてくれる鏡
内面に向き合いながら自分にしかできない表現を探求する自身のことを「異端児」と語る佐藤さんですが、現時点で、この度の新型コロナウイルスの影響をどのように捉えているのでしょうか。
佐藤さん
「新型コロナウイルスは世界のいろんなことを浮き彫りにしたという意味で本当に歴史に残ると思います。世界中どこにも逃げ場がないわけですから。そうなると自分を見つめるしかない。“生きるとはどういうことなんだろう”と本気で考えるという意味では、僕はこの状況をプラスに捉えてもいいと思うんです。なぜならば生きていることを実感できるから」
佐藤さんは“整える”“整う”という言葉をよく使います。太鼓を単にリズムとして奏でるのではなく、心と身体に対峙し、総合的に自分自身を鍛えていく実践そのものが、佐藤さんが考える、太鼓に取り組むということなのでしょう。
佐藤さん
「僕にとって和太鼓は打つもの、貫くもの、魂を打ち抜くもの。そして不二は稽古をつけてくれる存在で、対戦相手でもある。さきほどおっしゃってくださった、まさに横綱です。そして強い横綱を求めるうちにこのサイズになったのかもしれません。不二を前にすると小手先ではどうにもならなくなりますから。和太鼓は自分の中に生まれた衝動を受け止めてくれる鏡。爆発させることとコントロールすること、その両輪で可能性を開いていき、一つ形(曲)にする。言わば僕の表現はその連続。それを僕は“響き”と言っているんです。脈動なんです。そうやってひたすら自分と向き合うために打つことが、逆に外とのつながりを広げてくれる。一生精進するだけの価値があるものだと思いますし、僕は達人になりたいですね」
そう語る佐藤さんは、まだ太鼓を始めてまもないころ、あるお祭りで演奏したときの、エネルギーが無限に湧き続けていくらでも打てるような不思議な感覚を、今もずっと追い続けているのだと言います。
佐藤さん
「僕は宮崎県高千穂町の高千穂神社で何度か和太鼓の奉納をさせていただいているんですけど、その町には天照大御神(アマテラスオオミカミ)が隠れた天岩戸として祀られる場所があって。天手力男神(アメノタヂカラオノカミ)が岩戸を塞いでいた岩を放り投げて飛んでいった先が戸隠なんです。だからこの地に出会って驚いたんです」
何かの縁に導かれるように戸隠を訪れて、「是色館」という稽古場を定めた佐藤さん。どうやらその活動を支えるのに、戸隠というパワーを秘めた地はとても重要な役割を果たしているようです。そして佐藤さんは今日も一人、不二をはじめとする和太鼓たちを通して自らに向き合っています。
新型コロナウイルス感染症の影響が長期化する中で、“ニュー・ノーマル”“新しい生活様式”のもと、美術展、音楽・演劇の公演など文化イベントも、対策を講じた上で動き出しています。
そんな中、今回取材させていただいた2組のアーティストの言葉からは、自分自身のあり方や生き方を改めて見つめ直すとともに、自らの表現活動と観てくださる方々のかかわりやつながりの大切さや意味を、改めて実感されている様子が感じられたと思います。活動自粛やSTAY HOMEなどコロナ禍の“非日常”を自分と向き合う時間と捉え、その結果、普段から自分にかかわってくださっている周囲の人たちの存在に改めて気づくこと、感じることから、“新たな日常”を歩み始める。このようなアーティストの姿勢は、私たちにも自らを見直すきっかけになるかもしれません。
この2組のみならず、多くのアーティストが長野県『頑張るアーティスト応援事業』の支援をきっかけとして、仲間たちとの共同作業を行ってくださいました。そうしてでき上がった、力のこもった作品が「CULTURE.NAGANO」内の特設サイト「ARTS CHANNEL」に多数掲載されています。
作品を楽しみながら、これからの皆さんの活動、生活のヒントになるようなものが見つかるかもしれません。多くの作品をご覧いただければと思います。
「ウィズ・コロナ」と言われるように、新型コロナウイルス感染症の影響を受けながら社会生活を続けていく状況はこれからもまだまだ続くでしょう。アーティストたちがこの状況から何を見出し、さらに変化を遂げていくのか、これからの活動や表現について、読者の皆さんもぜひ注視し、楽しんでいただけたらと願います。
CULTURE.NAGANOでも引き続き、情報提供に力を入れていきたいと思います。
撮影:内山温那
取材・文:いまいこういち(サイトディレクター)
※撮影の際、時間を限定してマスクを外していただきました。
長野県では長野県文化振興基金を活用し、新型コロナウイルス感染症の影響により発表機会が喪失した、長野県ゆかりのアーティスト・団体の創作活動を支援しています。「ARTS CHANNEL」では、本事業を通して創作された作品を紹介しています。