「多くの人にクラシックを好きになってほしい」小林研一郎監督の想いが詰まった『長野・スペシャルコンサート2021』
長野県では平成27(2015)年度を「文化振興元年」としてスタートした文化振興の取組を推進するため、音楽や美術、舞台芸術など複数の芸術分野からなる「長野県芸術監督団」を設置しました。音楽分野は指揮者・小林研一郎(こばやしけんいちろう)さんが就任。これまで飯山市と須坂市で “コバケン”の愛称で親しまれる小林監督が率いる「その仲間オーケストラ」と地元の演奏家や合唱団が共演するコンサートを行い、また、小・中学校への「出前授業」などを実施してきました。今年は、その集大成として『長野・スペシャルコンサート2021』が7月4日(日)、長野市のホクト文化ホールで開催されます。これまでの事業の歩みを振り返りつつ、このコンサートについて紹介します。
出前授業で子どもたちと触れ合った時間をとても大切に
“炎のマエストロ”のキャッチフレーズを持つ指揮者、小林研一郎監督。今も忙しく日本と欧米を行き来しながら、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団など海外オーケストラに客演し、国内でも日本フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、群馬交響楽団などで要職を務めています。平成17(2005)年3月、小林監督は、スポーツを楽しむ機会が少なかった知的障がいのある人たちにスポーツを通じて社会参加を応援する「スペシャルオリンピックス(SO)」の趣旨に賛同し、SO冬季世界大会・長野の公式文化事業として白馬村でコンサートを開催。これをきっかけにプロやアマ、障がいの有無を問わず、活動の趣旨に共感する演奏家たちと「コバケンとその仲間たちオーケストラ」を設立し、長野県とも縁を深めてきました。茅野市民館での「蓼科高原みずなら音楽祭」では、“障がい者との共生、音楽のバリアフリー目指して!”というコンセプトを掲げ、知的障がいのある方々を招待し、平成23(2011)年から平成28(2016)年までの間、6回のコンサートを開催しました。
- オペラ『トスカ』を取り上げたレクチャー・コンサート
- レクチャー・コンサートはオペラ・ソムリエの朝岡聡さんによるトークも楽しい
長野県芸術監督団としては、平成29(2017)、30(2018)年に飯山市文化交流館なちゅら、令和元(2019)年に須坂市文化会館メセナホールでそれぞれ3日間の催しが行われました。1日目は、アナウンサーでもあるオペラ・ソムリエの朝岡聡(あさおかさとし)さんによる解説付きで、オペラの物語の舞台となる街や寺院などの写真を投影しつつ、歌手の皆さんがその名曲を歌うコンサートを開催。2日目は、小林監督自らによる解説付きでの公開リハーサル。3日目には、「その仲間たちオーケストラ」が大集合して、地元で活動する合唱団や高校の吹奏楽部も加わって、“炎のマエストロ”の情熱的な指揮のもと素晴らしい演奏を繰り広げました。
- 3日目のコンサートでも小林監督と朝岡さんは阿吽の呼吸
- ソプラノ歌手の生野やよいさんが小林監督の伴奏で歌声を披露
さらに小林監督は、現地に先乗りして市内の小・中学校を訪ね、子どもたちと交流しながらクラシック音楽の魅力を伝える「出前授業」を実施。出前授業ではいつもこんな話から交流のひと時が始まりました。
「僕はね、東京藝術大学の作曲科を卒業してから25歳で指揮科に入り直し、34歳まではもがきの時期を経験していたんです。世に出たくても手段がなかった。そうこうするうちにコンクールの年齢制限に引っかかるようになり、初開催のブダペスト(ハンガリー)のコンクールだけ唯一受けることができた。短期間の準備で臨んだコンクールでしたが、勝利の女神が微笑んでくれたため、いい結果を得ることができました」
- 優しい笑顔で子どもたちに語りかける小林監督(須坂)
- ヴァイオリンとヴィオラの説明をする阿部さん(須坂)
- 小林監督のピアノ、阿部さんのヴァイオリンで生演奏(須坂)
- 「出前授業」終了後、子どもたちに囲まれる小林監督(飯山)
優しさに満ちた穏やかな笑顔で子どもたちに語りかける小林監督には、“炎のマエストロ”のイメージは感じられません。ですが、夢を持ち続けて頑張ることの大切さを語る言葉には熱い想いが宿っています。令和元(2019)年に出前授業を小林監督と共に行った「その仲間たちオーケストラ」のメンバーで、『長野・スペシャルコンサート2021』でも首席ヴィオラ奏者として舞台に立つ阿部真也(あべしんや)さんはこう語ります。
「研一郎先生は音楽家、芸術家としては超一流。僕自身はサンフランシスコの大学を経て、ドイツのドレスデンで研鑽(けんさん)を積んではきましたが、先生と出会ったころは何者かも分からないような若者ですよね。そんな僕が“こう思うんです”と意見させていただいても、先生はいつも丁寧に聞いてくださった」
須坂市の小・中学校で行なった出前授業で阿部さんは、子どもたちと丁寧に会話のキャッチボールをしながら、自身の使うヴィオラやヴァイオリンの解説、クラシックの名曲を演奏しました。
「その時も研一郎先生は“君が思うようにやってみて”と全部任せてくださいました。プレッシャーもありますが、とても嬉しいことです。僕なりに進めていると、先生が流れに合わせて話に入ったり一緒に演奏してくださるんですが、それはまさに音楽のアンサンブルのようでした。先生は長野県でお子さんたちと触れ合った時間をとても大切にしていらっしゃって、お会いするたびに“ああいうことが大事だよね、阿部ちゃんとまたやりたいなあ”とおっしゃっています」
「出前授業」の最中、終始ニコニコしていた小林監督は、最後にピアノと歌声を披露。授業が終わるとお二人の周りには握手を求める子どもたちでいっぱいでした。
指揮者、演奏家、熱量をお客様と共有できるコンサートに
いよいよ7月4日(日)、長野市のホクト文化ホールで『長野・スペシャルコンサート2021』が開催されます。(公財)東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会と長野県が共催で実施する「東京2020 NIPPONフェスティバル」文化プログラムの一つでもあります。演目は、サラサーテ《ツィゴイネルワイゼン》、ドヴォルザーク《交響曲第九番“新世界より”全楽章》、シベリウス《フィンランディア》。この名曲を、朝岡さんを司会、ローマ在住のヴァイオリニスト・潮崎明日香さんをオーケストラの演奏をとりまとめるコンサート・ミストレスにお迎えし、小林監督が推薦する名だたるプロの演奏家と、県内各地からプロアマ問わず集まった演奏家たち総勢80余名が熱きタクトのもと、心を一つに通わせて演奏をお届けします。
ホクト文化ホールの館長・金澤茂(かなざわしげる)さんは『長野・スペシャルコンサート2021』への想いをこう語ります。
「私が言うまでもありませんが、そのタクトによって演奏家を音楽世界の高みに引き上げ、お客様の高揚感を高める小林監督の力は絶品です。本当に燃えるんですよ。また、良い音楽を提供するだけでなく、いろいろな人が音楽と出会える機会をたくさん設けていらっしゃることが小林監督の素晴らしさ。長野県芸術監督団としての集大成となる今回は、東京オリンピック・パラリンピックと共に音楽で盛り上がりましょう、長野県全域でスクラムを組みましょう、という趣旨のもと、小林監督の力をお借りします。新型コロナウイルス感染症の影響で、昨年開催する予定が今年に延期となり、企画が二転三転しておりましたが、ようやく実現にこぎ着けることができました。例えばドヴォルザーク《交響曲第九番“新世界より”全楽章》は小林監督の十八番の一つですが、コロナ禍で苦労した、新しい時代を築く皆さんにこの名曲を引き継ぎたいという小林監督のお考えから新たに提案してくださった。このコンサートは、そうした監督の想いでいっぱいのひと時になるでしょう」
当初の予定からおよそ1年越しで開催される『長野・スペシャルコンサート2021』への想いは、県内の演奏家も同じです。上田市を拠点に活動しているオーボエ奏者・石井聡恵(いしいさとえ)さんは「小林監督のタクトがどんな情熱的な音楽を表現されるのかすごく楽しみ。曲目が送られてきた時、これでもかというくらい熱い曲ばかりでしたので驚きました。演奏家もへとへとになると思うので、身体をしっかり鍛えて臨みます。音楽を通して小林監督や演奏家の熱量をお客様と共有できたら嬉しいです」と話します。また、中学の吹奏楽部で大勢の仲間と演奏した楽しさを忘れられないという長野市の高校生・矢口咲奈子(やぐちさなこ)さんは「小林監督が指揮される演奏は、聞き終えるとすぐに拍手せずにはいられなくなる魅力があります。オーケストラの演奏自体を燃え上がらせる指揮を十分に味わいたいです。2020年は文化祭も修学旅行もなくなって想像どおりの高校生活ができなかったので、このコンサートで想像以上の思い出をつくりたいです」とワクワクする気持ちを語ってくれました。
本番に向けた事前のリハーサルで指揮を担当するのが、阿部真也さんです。
「皆さんがいろんな街から集まってくださり、研一郎先生のタクトのもとにどれだけの音を出すことができるか、その準備をするのが僕の役割です。音は人種や世代、性別など人間の抱えるいろいろなものを超えられる。皆さんと重ねた準備を、研一郎先生がそれをもっともっと咲かせてくれるのが楽しみです。大作ぞろいのプログラムですが、終わった後によく挑戦したよね、うまくいったよね、と言えるように頑張りましょう」
最後に金澤館長の言葉でこの文章を締めくくりたいと思います。
「文化芸術は暮らしの中になくても生きていかれるでしょう。しかし、コロナ禍でネガティブな考えになったり、心が落ち込むような状況を打開して、普段の生活に戻れるようにするのが文化芸術や文化施設を運営する我々の役割。昨年は様々な鑑賞や演奏する機会を失ったからこそ、改めて気づくことがありました。ホールの責任者として、文化芸術の火を灯していたい、諦(あきら)めないという想いを込めて『長野・スペシャルコンサート2021』を実現できることは私たちにとっても喜びです」
長野県芸術監督団として小林監督が素晴らしい演奏に乗せてくださったのは「一人でも多くの人にクラシックを好きになってほしい」というメッセージだったと感じます。いろいろな交流の場で、先頭に立って動き回る小林監督の姿がそれを雄弁に語っていらっしゃいました。
県内全域から参加者を募るという大きなプロジェクトだったからこそ、実現に至るまでの関係者の試行錯誤があった『長野・スペシャルコンサート2021』。燃えるような熱く躍動するタクトの先から今回演奏されるプログラムは、クラシックに親しみがない方にも聞きなじみのある名曲ばかりです。このコンサートに込めた小林監督の想いが、新鮮に強く立ち上がってくることを期待して、会場に足を運びたいと思います。
※新型コロナウイルス感染防止策を講じての開催になります。また、予定されている曲目は予告なく変更されることもあります。
取材・文:いまいこういち
写真提供:一般財団法人 長野県文化振興事業団
紹介した「長野・スペシャルコンサート2021」をはじめ、長野県では東京2020 NIPPONフェスティバルの共催プログラムとして5つの文化プログラムを実施します。長野県の多彩な文化芸術の魅力をぜひお楽しみください。