『信州の伝統芸能フェスティバルin白馬』レポート~次世代に届けたい地域の歴史、生活文化が詰まった伝統芸能
去る令和3(2021)年8月6日(金)、7日(土)に、白馬村「ウイング21」で『信州の伝統芸能フェスティバル in 白馬』が開催されました。これは、東京2020 NIPPONフェスティバル共催プログラム「信州・アート・リングス ~文化でつながる。文化を創る。そして美しい未来へ~」の一環で、長野県に古来から受け継がれてきた神楽、太鼓、人形芝居などの伝統芸能の魅力を体験できるイベントでした。
今回の特集では、このイベントの様子をお届けします。
オリンピック・パラリンピックは、「スポーツの祭典」であると同時に、「文化の祭典」とも言われています。「オリンピック憲章」にも、その重要性が記されています。東京2020大会において、令和3(2021)年4月1日から9月上旬頃にかけて、(公財)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が中心となって、全国で繰り広げられる公式文化プログラムが「東京2020 NIPPONフェスティバル」です。
長野県では同フェスティバルの共催プログラムとして、「信州・アート・リングス ~文化でつながる。文化を創る。そして美しい未来へ~」と銘打ち、5つのプログラムを実施しており、その一つが長野県芸術文化協会主催の『信州の伝統芸能フェスティバル in 白馬』です。
1998年長野オリンピック・パラリンピック(以下、1998年冬季長野大会)を開催した長野県において、そのレガシーを継承し、東京2020大会を契機として長野県の文化を発信することを目的に「信州・アート・リングス」の各文化プログラムが開催されています。
このイベントの会場を白馬村としたのは、1998年冬季長野大会において、スキーのジャンプ競技やアルペン競技などが同村で開催されたことが背景にあります。イベントのポスターデザインにもスキージャンプ台の写真が取り入れられ、また、会場の「ウィング21」には、1998年冬季長野大会のロゴマークが施設壁面に設置されています。
このことからも、1998年長野冬季大会のレガシーを礎として、東京2020大会を契機として、長野県の豊富な伝統芸能の魅力を発信しようとするこのイベントのコンセプトが伝わってきます。
伝統芸能の由来や大切さをより深く届けるために
このイベントの主催者である、長野県芸術文化協会の松山光会長はこう話します。
「東京2020大会の文化プログラムは、日本の文化芸術を国内外に発信する取組みですから、県から、これを契機として、文化プログラムを実施したいというお話を伺った時に“伝統文化もぜひ”とお伝えしました。長野県は伝統芸能の宝庫です。同じく「信州・アート・リングス」に参加する長野県芸術監督団のプログラムが今を紹介するものだとすれば、伝統芸能は信州らしさを象徴するもの。令和2(2020)年に実施できていたなら、インバウンド(外国人観光客)も意識し、将来の観光に結びつけるきっかけにすることもできたでしょう。しかしコロナ禍でもあり、難しいため、より伝統芸能の素晴らしさ、地域にとっての大切さを発信したいと考えました。伝統芸能は昔の生活文化、地域ごとの特色を伝えるもの。伝統芸能そのものが地域の歴史だと言うことができるかもしれません。しかし、どの地域の伝統芸能も継承の課題を抱えています。ですから、ただこれらを上演するだけではなく、お客様に伝統芸能の由来を知ったり理解度を深めてもらい、さらに応援していただければとストーリー仕立てで各地の伝統芸能を紹介する工夫をしてみました」
同じ「舞」や「太鼓」の中にも地域ごとの多様な個性がのぞく信州の伝統芸能
ステージのオープニング。長野県の美しい山々や観光名所、温泉、食文化などを紹介する映像が流れ、MCがイベントの開会を告げます。
すると舞台上に二人の俳優が登場しました。一人は日本のことが大好きなアメリカ人のアレン、もう一人はアレンとSNSで出会った日本人のリカ。リカがアレンに伝統芸能を紹介していくという設定で、二人は白馬村を皮切りに、県内各地の伝統芸能を訪ね歩いていきます。アレンとリカは時に演者の皆さんとトークを繰り広げ、驚いたり、感心したりしながら、それぞれの特徴を観客に伝えていきます。ベースとなるこの台本は、松山さんと元みのわ芸術文化協会会長の故・大槻武治さんが、演出をNPO法人劇空間夢幻工房理事長の青木由里さんが手がけました。
8月6日は、白馬村の日本アルプス白馬八方太鼓保存会(はくばはっぽうだいこほぞんかい)、同じく切久保神社尾花踊り(きりくぼじんじゃおばなおどり)、飯田市の上村遠山(かみむらとおやま)の霜月祭保存会上町支部(しもつきまつりほぞんかいかみまちしぶ)、伊那市の歌舞劇団田楽座(でんがくざ)が出演しました。
日本アルプス白馬八方太鼓保存会は、昭和53(1978)年から白馬村の八方地区を拠点に活動しています。この日は子どもを中心とした打ち手により、3曲を披露。太鼓のバチを真横に向ける振り付け、巫女鈴(みこすず)や拍子木(ひょうしぎ)などを鳴らしながら、豪快に打ち鳴らされる各種の太鼓の周りを駆け回る子どもたちの姿が、力強い演奏の中にもほのぼのとした雰囲気を漂わせていました。
切久保神社尾花踊りは、白馬岩岳スキー場の傍らに建つ霧降宮切久保諏訪神社(きりふりのみやきりくぼすわじんじゃ)の例大祭で奉納される舞です。落ち着いた緑の着物に赤い帯、大きな冠をかぶった切久保神社尾花踊り保存会の子どもたち10人が、謡(うた)いに合わせ、右手に扇子、左手には稲穂に見立てたススキ(=尾花)を持って優雅に踊りました。
上村遠山の霜月祭保存会上町支部は、同地区独特の2基の竈(模型)を前に、太鼓と笛の音色に乗せて「欅の舞」(けやきのまい)など3つの舞を披露。身体を深く折り、扇を持った手を高く掲げた動きは、制限された姿勢の中にも力強さを感じさせるものでした。また、湯立て神楽の真骨頂、天狗の面を付けた舞い手が、煮えたぎる湯を素手ではねかける場面も披露されました。
休憩を挟んで、日本各地の祭りや年中行事の中で受け継がれてきた太鼓や唄、踊りなどをもとにした創作舞台を繰り広げている田楽座が登場。それまでの厳かな雰囲気を一変させる、明るく楽しい演目を披露。解説を交えて「木曽木遣り」(きそきやり)、塩尻市の「舞台囃子」(ぶたいばやし)、木曽の「とりさしまい」、「獅子舞」(ししまい)、オリジナルの曲「山のお囃子」(やまのおはやし)と続きました。「とりさしまい」では、長い竹ざおに鳥黐(とりもち)をつけて鳥を捕まえようとするものの、粘りのある黐(もち)に悪戦苦闘する、ほおかぶりの男の様子が大きな笑いを誘いました。
8月7日は、白馬村の信州白馬 塩の道太鼓(しんしゅうはくば しおのみちだいこ)、同じく飯田神明社 浦安の舞(いいだしんめいしゃ うらやすのまい)、箕輪町の古田人形芝居保存会(ふるたにんぎょうしばいほぞんかい)、飯田市の遠山霜月祭保存会和田保存会(とおやましもつきまつりほぞんかいわだほぞんかい)、岡谷市の御諏訪太鼓(おすわだいこ)が出演しました。
信州白馬 塩の道太鼓は、地域のお祭りににぎわいを取り戻そうと平成9(1997)年に設立された団体です。子どもから大人まで幅広い年齢の打ち手が代わる代わる演奏を繰り広げました。「子ども祭り囃子」(こどもまつりはやし)、「街道二竜」(かいどうにりゅう)、「昇り竜」(のぼりりゅう)の演目を通して太鼓の様々な表情を見せてくれました。
飯田神明社 浦安の舞は、昭和15(1940)年に全国の神社で奉祝臨時祭(ほうしゅくりんじさい)のために立案された、4人の巫女による扇の舞と鈴の舞で構成された踊り。飯田神明社 浦安の舞は戦後一時期中断していましたが、近年に復活したのだそうです。白と朱の装束を身につけた女の子たちが厳かに舞いました。手首をキリッとひねって鈴を鳴らしたり、鈴についたカラフルな帯を自在に操る様子が目を惹きました。
享保年間(1720年代)から伝承されていると言われる古田人形芝居保存会は、三人遣いによる人形芝居で、祝いの舞『三番叟』(さんばそう)を披露しました。各種太鼓と笛に混じって、人形の足踏みに合わせて、厚い板に二本の拍子木を打ちつけて音を出す附け打ち(つけうち)が印象的でした。
遠山霜月祭保存会和田保存会は、太鼓のみの演奏で、「祝儀の舞」(しゅうぎのまい)、「鎮めの湯」(しずめのゆ)、「面」(おもて)、「粕舞」(かすまい)とダイナミックで激しい舞を次々と上演しました。最初はゆっくりだった太鼓のリズムが次第に早くなっていく踊り、ユニークな表情の面(火の王、諏訪明神、山の神など)が次々と登場する踊りなどエンターテインメント性のある舞を披露しました。凛とした舞を見せた上村遠山の霜月祭保存会上町支部も同様ですが、夜通しで行われる霜月祭だけあって、その一部を披露しただけで、様々な表情の舞があることが伝わってきました。
そして二日間の大トリは、御諏訪太鼓でした。その由来は戦国時代の川中島の戦いの頃にまで遡(さかのぼ)ると言われる歴史を誇り、明治から昭和20年代まで途絶えていたところを宗家、故・小口大八氏が復活させました。こちらはベテランのメンバーをそろえた「勇駒とんばね太鼓」(ゆうこまとんばねだいこ)、「飛竜三段返し」(ひりゅうさんだんがえし)、「諏訪雷」(すわいかづち)の演奏は、荘厳(そうごん)かつ迫力のあるものでした。
老若男女が集った客席からはこのイベントを締めくくるにふさわしい大きな拍手が送られました。
多様な伝統芸能に出会えた貴重な機会
『信州の伝統芸能フェスティバル』に参加した伝統芸能の多くは、コロナ禍ということもあり、残念ながら地域のお祭りなど発表する機会を失ってしまった団体ばかりです。日頃の練習の成果を、普段地元で披露している以外の観客の前で発表できる貴重な機会とあって、ステージに立った皆さんは生き生きと奏で、唄い、舞っていました。またこのイベントは、観客の皆さんにとっても、一度に多様な伝統芸能に触れることができたことで、信州の伝統芸能の奥深さを知り、応援する機会にもなったことでしょう。
田楽座の代表・中山洋介さんはステージの上から、次のようにお客様に語りかけました。「今、コロナ禍で、日本中のお祭りや伝統芸能が実施できない状態が続いています。信州の伝統芸能は雄大な自然から生まれた、地域の歴史を表すものです。これらを次代に引き継いでいけるのか、ぜひ若い世代の皆さんが地域の伝統芸能に関わってくださることを願っています」
実は客席には、出演者として参加した子どもばかりではなく、ご家族連れでやって来たであろう子どもが大勢鑑賞していました。伝統芸能の数々、そして上記の中山さんの言葉はきっと皆さんの心の中に、深く刻み込まれたのではないでしょうか。
『信州の伝統芸能フェスティバルin 白馬』の様子は、後日、オンラインで公開される予定です。鑑賞機会が減ってしまったコロナ禍において、このイベントに出演した伝統芸能をぜひご覧ください。
取材・文:いまいこういち 撮影:増田今雄(長野県写真連盟)
紹介した「信州の伝統芸能フェスティバルin白馬」をはじめ、長野県では東京2020 NIPPONフェスティバルの共催プログラムとして5つの文化プログラムを実施します。長野県の多彩な文化芸術の魅力をぜひお楽しみください。