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小海町高原美術館 25周年を迎える「町の宝物」

小海町高原美術館 25周年を迎える「町の宝物」

八ヶ岳の麓、松原湖高原に建つ小海町高原美術館。平成9(1997)年7月29日に開館し、今年25周年を迎えます。高原の傾斜地を生かして周囲の自然とも調和するように考えられた建物は、建築家・安藤忠雄さんによって設計されました。
本特集記事の前半は、名取淳一館長と学芸員の中嶋実さんにこれまでの歩みとこれからについて伺います。後半は、開館25周年を記念して今年行われる4つの展覧会の第1弾「動詞を見つける Find Your Verb」(4月9日~6月19日)を開催した美術家・磯谷博史さんに同展を振り返っていただきます。

もっと自由に、身近に、芸術に親しめる環境を

中嶋さんは開館当初からいらっしゃったそうですが、まずはその頃のことをお伺いできますか?

中嶋さん
当初は収蔵品があまりなく、大阪のコレクターからお借りした洋画家・須田剋太(すだ こくた)と、今も収蔵している陶芸家・島岡達三(しまおか たつぞう)の二本柱でスタートしました。初めて開催した企画展は、ピカソの版画展です。北海道の岩内町にある荒井記念美術館からお借りして、同館の学芸員の方にもいろいろと教えていただいたので、私にとっても思い出深いです。

企画の方向性は、開館時から決まっていたのですか?

中嶋さん
当館が掲げる4つの理念に沿って決めています。1つ目は郷土の芸術や収蔵作品の調査研究を行い、展示すること。2つ目は国内外の多様な芸術表現の紹介を通じて、現代の時間や人間を考える機会を提供すること。3つ目は生活の中のデザイン・建築など身近な分野を紹介し、親しみの持てる美術館を目指すこと。そして4つ目は将来を担う子どもたちを育み、芸術を通じた豊かな未来を創造することです。

小海町高原美術館開館当初から勤務する学芸員・中嶋実さん

名取館長
当館はコンクリート打ち放しと、外から入る光が空間を演出するという、安藤さんの設計の特徴的な要素を持っています。特色ある建物ですが、逆にそれが作品のジャンルを限定しない自由さを生み出しています。これまでも絵画や彫刻以外にも、幅広い作品を紹介してきました。作品と呼吸を合わせて、建物の質感とどう響き合うか。特に現代美術を手がける作家にとっては、この建物をどのように生かして表現をするかが鍵になっているように思います。

中嶋さん
現代美術の展示は平成17(2005)年が最初です。当館は広さもあるので、一人の作家で展覧会を構成するのは大変だと考え、まずはグループ展で始めました。数年に1回のペースで計6回開催し、令和に入ってから満を持して個展に変えました。館内の空間をじっくりと読み込んでもらって、作品を選定、あるいは制作して、展示していただいています。
現代美術作家の場合は、私たちと直接コミュニケーションが取れるし、作家自身が会場の構成を考えたり、作品を配置したりすることで空間ともコミュニケーションが取れます。今回の磯谷さんの展覧会も、空間全体に磯谷さんの意志が入っていると感じます。

アーティストが一定期間滞在し、地域との交流を通じて創作活動などを行う「アーティスト・イン・レジデンス」(AIR)にも積極的に取り組んでいらっしゃいます。

名取館長
平成19(2007)年からこれまでに、計8回実施しています。作家の個性にもよりますが、気軽にアトリエに呼んでくれる方や、普段からスーパーで買い物をして日常会話を楽しんでくれる方もいらっしゃいました。外で大きなキャンバスを立てて絵を描いていると、通りかかった地元の人から「何しているの?」と声をかけられることもあるようで、そうやって自然に交流が生まれると、普段あまり美術館に足を運ばない人でも「あの人が展示をしているのなら見にいくか」となる。私たちにとって、地域の文化活動拠点の在り方として新たな発見にもなっています。

小海町高原美術館名取淳一館長。平成28(2016)年から同職を務める

中嶋さん
教育普及活動にも力を入れていて、対話型鑑賞という方法で小中学校の授業を行っています。長野県は割と早くから対話型鑑賞授業に注目していて、勉強会や研修会も多い。私も参加して学びましたが、そこで出会った学芸員同士のつながりが、「シンビズム」の前身と言えるかもしれません。

対話型鑑賞授業というのはどういうものなのでしょう?

中嶋さん
簡単に言うと、教え込まず、感じたことを大切にする授業です。私たちの役割はファシリテーターで、ひとり一人の意見を聞き、結び付けていきます。子どもは感じたことを素直に言いますが、実はかなり本質的なところを突いてきます。
コロナ禍以前は、町に一つずつある小学校、中学校の全学年が来館していました。例えば小学校1年生は、社会科見学として来るので、普段入れないバックヤードを案内して、作品の保管方法や、防犯カメラ、人感センサーなどについて説明します。「美術館の収蔵品は町の宝物なので、一生懸命守っているんだよ」ということを知ってもらいたいので。そうすると、子どもたちは家に帰って家族に話してくれる。それを聞いて、大人が初めて知るということも多いです。作品を大事にしようという気持ちも芽生えるし、「今度は一緒に行ってみようか」と来館にもつながる。でも何より、子どもたちに「こんな宝物が私たちの町にあるんだ!」と思ってほしいですね。

  • 小海町高原美術館対話型鑑賞授業
  • 小海町高原美術館対話型鑑賞授業

名取館長
授業の終わりなどに、締めくくりのあいさつをすることが多いのですが、必ず言うのは「実生活の全てのものがデザインで、アートである」ということ。普段の生活で、例えばテーブルやテレビ、看板やサインなどをちょっと気にしてみてほしいと伝えています。

そうすると、アートや美術がより身近になりますね。

名取館長
それを具現化してくれたのがまさに小海町出身の映画監督・新海誠(しんかい まこと)さんです。新海さんご自身の五感が「小海町で育まれたことを実感するときがある」とおっしゃっています。直接、小海町を描いたものでなくても、そのベースは小海町の風景にある。子どもたちが皆、新海さんのように感じるとは限りませんが、どこかでそういう意識が育まれるといいなと思っています。

中嶋さん
教育普及は子どもだけではなくて、全ての方が対象です。80代や90代の方もグループで訪れるのですが、作品を見ると記憶を刺激するのか、感じたことも思い出も、たくさん話してくれます。例えば小海町出身の洋画家・栗林今朝男(くりばやし けさお)さんの展覧会を行った際には、馬をテーマにした作品を見て、「昔は家の中で馬も一緒に飼っていて、大事にしていた」という思い出から、当時の様子、戦時中のことへと話が広がっていきました。栗林さんは、第二次大戦中に捕虜収容所でフランス人捕虜が合唱や合奏をする様子を見て、芸術に国境はないと肌で感じたことがきっかけで、絵の道に進んでいます。この話をすると、皆さん共感されていました。一枚の絵から、歴史や考え方が伝わっていくことを目の当たりにしましたね。

名取館長
長引くコロナ禍の中で、「美術ロス」「アートロス」を感じている方も多いです。アートは、ほかの生物にはない、人間だけが作り出しているもの。もっと本能的に、感じることを大事にしてもらえればいいと思います。そして、私はこう思うけど別の人はこう思うといったように、答えは一つではなくてそれぞれ違うということを楽しんでほしい。そこに豊かさがあるのではないでしょうか。

中嶋さん
作家は、アイデアから始まって、技法やテクニック、さらには社会をどう捉えるかも考えながら、作品を創っています。その過程は人生のようなもの。よく「現代美術は分からない」という声を耳にしますが、人生が詰まっていると思えば、簡単に分かるわけがない。でも、分からなくても何か感じることはあるはずです。

名取館長
「何か面白いものを一つ探してみよう」という見方でいい。子どもは我々が気付かないようなことを見つけますよね。「そんなふうに見えるんだ。教えてくれてありがとう」という気持ちになります。ランキングのような数字だけで判断したり、人の判断に委ねたり、正解を探したりするのではなく、自分自身が感じたことや表現する楽しさをもっと知ってほしいですね。

小海町高原美術館

建築と作品のバランス。小海町高原美術館だから実現した展覧会

ここからは磯谷さんにもお話を伺います。まずは今回の展示を行ったきっかけを教えていただけますか?

磯谷さん
僕は建築を勉強していましたが、恥ずかしながら小海町高原美術館を知りませんでした。この美術館の存在というか、空間の質と言えるものが動機を与えてくれました。最初に目にしたのは、三重県伊賀市在住の陶芸家・植松永次(うえまつ えいじ)さんの作品集です。平成21(2009)年に行われた展覧会の図録なのですが、「この美術館はどこにあるの?」と興味を持ちました。作品集を紹介してくれたギャラリストが中嶋さんをご存知で、そこからつながりました。

中嶋さん
私もギャラリストから磯谷さんの資料をいただき、読み込んでいました。過去の作品や考え方を知って、これはぜひ当館で展示をお願いしたいと思っていました。

磯谷さん
初めて訪れたのは令和2(2020)年11月。ハクレイダケ(白霊茸)のステーキを食べたことを覚えています。僕も、ちょっと探りを入れようかと思っていたのですが、中嶋さんから告白していただいて(笑)。

小海町高原美術館磯谷博史さん

結果的には、中嶋さんのほうから依頼があったとはいえ、相思相愛ですね。

磯谷さん
展示することが決まってから、まず図面をもらいました。小海町高原美術館は、部屋に光が均等に回って常にどの場所でも作品が安定して見えるような「ホワイトキューブ」と呼ばれるものとは対照的なつくりです。骨格もしっかりしていて強さを感じる。3つある展示室の形もそれぞれ違うし、各室に自然光が入ってきます。自分の展覧会に、展示空間という要素をどう位置付けるべきか。この特徴ある空間を味方につける…というと穏やかな言い方ですが、もっと言えば、ある程度利用しながら組み立てるにはどうするかを考えました。
僕は空間の特徴を生かすというアプローチは常にしていますが、展示場所の特徴が際立っていればいるほど、それが重要になると思っています。そういう意味でも今回の個展は、かなり建築に向き合わざるを得ない仕事でした。

今回の展示は、順路が通常とは逆方向になっていました。

磯谷さん
僕の率直な体感として、逆から回る方が滞在時間が長くなると思いました。本来はゆっくり建築を見せるスロープがあり、カーブしている大きなメインの展示室、続いて小さめの展示室、そして最後に天井が低くエレベーターやトイレがあるスペースで終わる。これは、前半にクライマックスがあってフェードアウトしていくような空間体験だと感じました。それを逆にすることで、だんだんと開けていくようなイメージにしたかった。スロープは展示の余韻を残す場所として、思い返す時間に使ってもらえるし、振り向くと第1展示室が見えるので、戻ることもできます。

  • 小海町高原美術館第1展示室
  • 小海町高原美術館第2展示室

磯谷さん
第2展示室は光を採るために、外庭が作られていて、時間と共に室内に入ってくる光がドラマチックに変わる、光と影の見せ場のような空間になっています。そのある種の演出を、窓に赤いフィルムを貼ることで僕の作品に持ち込んでいる。赤く染めるために、人工的な光を使うのではなく、建築が持つ性格、性質を変化させるように考えました。

第2展示室から第3展示室へ入ると、一気に開けた印象を受けました。

小海町高原美術館第3展示室

磯谷さん
第3展示室は奥に窓があるので、ほとんどの作品が光を受けます。通常、写真作品は反射を嫌うので、外光を遮るための工夫をする方も多いと思います。僕の場合は写真を使っていますが、一つのオブジェクトとしての見せ方、在り方を考えているので、極端に言えば反射しても構わない。そこで、展示室に入った瞬間には見えなくても、作品の正面に進むにつれて明らかになっていくという体験になればと考えました。
一つの作品が持つ意味やクオリティについて、もちろん制作中はこだわりますが、展覧会となれば、展示空間でどんな体験をしてもらうかを優先しています。歩いてみて、どういうリズムで鑑賞者の目に入ってくるかが決め手になる。身体的な感覚、体の反応を重視しています。
例えば日本庭園は、目線を意識して造られていますよね。奥にある池は、最初は見えないようになっていて、進んでいくと並んでいる木々から、小さめの敷石を置くことで目線が足元に移り、曲がった先で初めて池が目に入る…というような。「誘導」というと強制力が出るので、「振り付け」という感じでしょうか。

今回、AIRとして小海町に滞在されましたが、その間はどのように過ごされましたか?

磯谷さん
僕は通常、自分のスタジオで制作をしているので、あまりレジデンス向きの作家ではありません。だからこそ、こういう場に来たときに何をするかを考えますね。今回は、還元焼成(酸素が足りない状態で燃焼が進行する焼き方)で陶製の球体をつくるということを試しました。還元焼成は煙がかなり出るため、場所を選びます。普段できないことを試すというのは今回だからできたことだと思います。
あと、展覧会の内容は直前に調整したので、滞在する期間がなければ、このような形にはならなかったかもしれません。レジデンスの中で展覧会そのものをつくったという感覚があります。会期中は、訪れた人やパフォーマンスをしてくれた音楽家の蓮沼執太(はすぬま しゅうた)くんも来てくれて、交流を深めることもできました。

小海町高原美術館5月4日に開催したパフォーマンスでは、展示室内に巨大なスピーカーを設置し、超高音から超低音までを大音量で流した

蓮沼さんは、ソロからグループ活動、アート作品などを幅広く手がけていらっしゃいますが、「NAGANO ORGANIC AIR 2022」では小海町高原美術館がホストとなり、滞在制作を行っていますね。

磯谷さん
AIRについては、制作だけではなく、対話することや、作品を見てもらうことに意味や価値を見いだせるとさらに面白くなると思います。作家側からの発信だけではなく、作品を見てもらった方にフィードバックをもらうのも作家にとっては貴重です。

小海町で展覧会を行ったことについては、どう感じていらっしゃいますか?

磯谷さん
僕は、美術館は人里離れたところに造るのがいいと思っているのですが、それは、行き来にかかる時間や道中のさまざまな風景も含めて体験になるというのが一つの理由です。一度来たら、忘れないじゃないですか。
今、東京に住んでいて感じるのは、アートという言葉が流行っているというか、美術館に行くこと自体が一つのコンテンツになってきているということです。一方で、そんなにたくさんの人が美術に近づく必要があるのだろうか、美術はエンターテインメントではないので、入館者を増やすというような、数を基準にするのは違うとも思っています。もちろん、大勢来てくれるのはうれしいですが、「これだと分かりにくいかもしれない」と考えてしまうこともある。今回はそういう負荷をかけずに、自分として本質的な展示を行うことができました。

小海町高原美術館

小海町高原美術館では、磯谷さんの展示を皮切りに25周年記念として4つの展覧会が企画されています。次は、デザインに焦点を当て、木を用いてさまざまな造形を試みてきた杉山明博(すぎやま あきひろ)さんの「杉山明博・造形とデザインの世界展 発想の道具箱」(7月2日~9月4日)。秋には児童詩誌「きりん」の制作・編集に携わってきた浮田要三(うきた ようぞう)さんの展示「浮田要三と『きりん』の世界」(9月17日~11月13日)。そして締めくくりは、美術、民話、アニメーション、子どもたちの表現などで小海町の文化の再発見を試みる「小海の文化再発見(仮)」(11月26日~12月19日)。4本の柱にぴったりと沿った形で展覧会が展開されます。
10周年、20周年の企画にも携わってきた中嶋さんは、「美術館は作品を媒介として作家とコミュニケーションが成り立つ場だということを再認識しました。人との交流が減り、自分と向き合う時間が増える中で、美術館は作家とも自分とも向き合うことができる場所。コロナ禍でのコミュニケーションの可能性を残している場だと思います」と力を込めました。

25周年に合わせて、新たなロゴも制作されました。手がけたのは磯谷さんの妻でグラフィックデザイナーの田中せりさん。建物の特徴となっている円弧と、町の名前である「小さな海」が表現され、「永遠性、持続可能性、世界の和を表し、その実現のためには芸術が必要である」というメッセージが込められています。
美術館は多様な芸術作品だけではなく、その背景にある歴史や文化、そして多くの人の思いに触れられる場でもあります。貴重な収蔵作品だけではなく、館の存在自体が「宝物」と言えるのかもしれません。

取材・文:編集部
撮影:河谷俊輔

小海町高原美術館

小海町高原美術館
南佐久郡小海町豊里池の沢5918-2

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