「演劇による学び」推進事業 「表現することは楽しい!」を子どもに届ける
長野県では、2018(平成30)年3月策定の「長野県文化芸術振興計画」に基づき、県内の学校で、児童・生徒が身体を使ったり、みんなで相談しながら同じテーマを表現したりすることでコミュニケーション能力や表現力、創造力を学び育むことを目的とした「演劇による学び」推進事業を実施しています。新型コロナウイルス感染症の感染拡大で思うように集まれない時期もありましたが、長野県県民文化部文化政策課や長野県教育委員会学びの改革支援課が、演劇やダンスなどのジャンルで活動する県内在住のファシリテーターと学校とを丁寧につないでいます。実践を重ねて、新たなステージへと向かっている取り組みを紹介します。
コミュニケーション能力や表現力、創造力を学び育む“「演劇による学び」推進事業”
“演劇”という言葉の印象からか作品をつくったり演技を学んだりするかのように思われがちですが、そうではありません。演劇の手法を用いながら、身体を使った表現や、みんなで相談して一つのテーマをやり遂げるなどの経験を通して、自分の考えを伝えたり、相手の意見を受け入れたりしてコミュニケーション能力や表現力、創造力を学び育んでいくものです。こうした取り組みは全国でも少しずつ広まっており、IQや学力などと違って、数値で表しにくい非認知能力と呼ばれる自尊心、自己肯定感、自立心、学びに向かう力などを高めたり、合意形成や協働性を養ったり、多様性への理解を促すことに有効だと言われています。
長野県では2019(令和元)年から松本市立開智小学校、駒ヶ根市立赤穂小学校、長野市立裾花小学校でモデル授業を実施し、関係者が見学できる体制も採ってきました。本来なら2020(令和2)年度にはこれをさらに拡大していく予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響を受けて、学校へファシリテーターを派遣することが困難な状況に。そんな中でも試行錯誤しながら、2021(令和3)年秋と翌年春には、佐久穂町にある学校法人茂来学園大日向小学校でワークショップを実現し、映像化するなど事業を進めてきました。
大日向小学校ワークショップの様子(2021年秋・2022年春)
2022(令和4)年2月には演劇やダンスなどを活用したワークショップを地域で行っている県内のファシリテーターが集った、「ファシリテーター連絡会議」が開催されました。
ファシリテーター連絡会議の様子(2022年2月)
連絡会議には「えんげきで学ぶ研究所」(長野市)の若林優也さん、「一般社団法人あそび心Base アフタフ・バーバン信州」(上田市)の清水洋幸さん、「にちようカラダのワークショップ(にちカラ)」(松本市)の分藤香さん、矢萩美里さん、コンテンポラリーダンサーの二瓶野枝さん(松本市)、「Enziru LifeTheater 陽のあたる教室」代表で俳優の小林英樹さんがそれぞれの活動を紹介。ほかの参加者の皆さんとも情報交換を行い、ネットワーク構築の第一歩となりました。会議の中では、コロナ禍の影響により自己表現やコミュニケーションのとり方がわからない子どもが増えているなどファシリテーターが感じた学校現場について話し合う場面もみられました。
ワークショップを通して日常の授業にいかしていく
2022(令和4)年夏、教育関係者を対象に、県内2会場で「子どもの発想を活かし育てる学びづくり 教員向けワークショップ」を実施。東北信会場(軽井沢風越学園)では、若林さんと清水さんがワークショップ講師を務め、中南信会場(長野県総合教育センター)では、分藤さん、矢萩さん、二瓶さんと小林さんが講師を務め、参加者は、それぞれのワークショップを体験しました。普段、交流のない先生方がグループに分かれ、さまざまなワークを体験するうちに気持ちが開放され、まるでもともと仲間だったかのような一体感が生まれました。ワークショップの体験のほかに、学校で行う際の授業の位置づけ方法を、公立学校でも教員経験がある軽井沢風越学園の村上先生が、実体験をもとに、話されました。
- 若林優也さんによるワークショップ
- 清水洋幸さんによるワークショップ
- 「にちカラ」によるワークショップ
- 小林英樹さんによるワークショップ
「演劇による学び」推進事業を4年にわたって担当してきた長野県県民文化部文化政策課の八木光江さんはこう語ります。
八木さん
「教員向けワークショップは、県内の教育関係者がこの事業を知り、関心を持っていただくことや県内各地にさまざまなファシリテーターがいて、どんな活動をしているのかを共有することを目的にしました。そのため、実際の授業の様子を動画で紹介したり、1会場で複数のファシリテーターのワークショップを実施することで、さまざまなアプローチがあることを体験していただきました。村上先生から授業に取り入れている工夫をお話ししていただいたことで、ワークショップが面白そうで終わらず、先生方が学校でも使えそうだと手応えを得られた機会になったことは、大きな成果だと思います」
参加者からは、「演劇が嫌いだけど、演劇に対する考え方が変わった」「ファシリテーターの声がけがよくて、普段の授業でも意識しようと思った」など参加する前と後で、学校の授業改善に生かせる学びがあったようでした。
「みんなで一つになった気がする」ワークショップ
ここからは、2022(令和4)年秋に、県が県内の小中高・特別支援学校を対象にワークショップの実施校を募り、実際に行った学校の様子を紹介します。上田市立川辺小学校では、教員向けワークショップに参加した宗倉美百莉先生の想いを同校の先生方が受け止めて実現しました。
2022(令和4)年12月16日、同校の視聴覚室には1年3組の児童30人が、「何が始まるの?」という緊張感とワクワク感を漂わせて集まっていました。“あそび心をひろげよう! あそびや関わりの中から豊かさを!!”をキャッチフレーズに、「アフタフ・バーバン信州」の清水さんと鷹野紀子さんが「みんなであ・そ・ぼ!!~いろいろなものになってみよう!~」というワークショップを午前中の2コマの授業を使って行いました。
スタッフの紹介と今日の内容について簡単に説明した後、まずはウォーミングアップ。目や耳の体操、身体を使った遊びを行います。みんなが同じことをやることで緊張や不安を取り除きリラックスさせることが目的です。
大人たちもしみちゃん(清水さん)、のんちゃん(鷹野さん)、みもちゃん(宗倉先生)、めいちゃん(八木さん)、ヤージマン(県教育委員会学びの改革支援課指導主事・矢島裕文さん)などとしてそこに加わりました。
- じゃんけんたいそう
- めのたいそう
- 歩き鬼ごっこ
- 石になってみよう
体も気持ちもほぐれてきたところで、子どもたちは5人ずつのグループに分かれます。
- 手を重ねて、一番下の人が上から手を叩く素早さの修行
- さらに大きな木になってみよう
- もっと大きな石になってみよう
- お地蔵さんになってみよう
忍者になってみる
子どもたちが忍者になって赤、青、黄の巻物をチームごとに探します。時折り清水さん扮する影忍者が教室に入ってくると、子どもたちは影忍者に捕まらないように石やお地蔵さんに扮して、影忍者をやり過ごします。
- お地蔵さんなると影忍者が巻物をお供えしてくれる
- これは石に変身しているのかな?
場所変え
視聴覚室を公園に変えるために、チームごとに相談して公園にあるものになってみます。
- 大きな噴水が完成
- みんなでつくった公園
最後は、子どもたちの感想発表。「○○になったのが楽しかった」「またやりたい」といった内容が大半でしたが、噴水を表現したグループの子どもからは「みんなで一つになった気がする」という感想も飛び出しました。
子ども同士だけではなく、大人との関係も変化
ワークショップの開催にあたっては、事前に2度のオンライン・ミーティングが行われました。その中で宗倉先生から、「道徳の時間にクラスの友達のいいところを書き出してみるという授業を行ったところ、普段仲良くしている友達のことは書けても、関わりが薄い友達になると名前もあやふやなことがある。ワークショップが子どもたちを変容させるきっかけになれば」という課題が挙げられました。その課題を受けて、清水さんからは「お互いのことを知り、力を合わせて何かをやり遂げることで、他者とかかわる楽しさを感じてほしい。表現遊びを通して、一人ひとりが自分の心の内からやりたいと思うことをシンプルに表出できるものにしたい」という狙いが提案されました。
ワークショップを振り返って、皆さんからは以下のような感想が出ました。
清水さん
「忍者になってみる、のときは集団の中で行動することが苦手な子が興味を持って、自分から影忍者をやりたいと言ってきてくれたんです。影忍者の一人として、先生や児童の皆さんの様子を見張って僕に教えてくれたりする。忍者の物語の世界が共有できたことで、緩やかに参加できる入り口が見つけられたのかもしれません」
鷹野さん
「影忍者は清水が演じていたわけですが、誰も“しみちゃんだ”とは言わない。自分たちが忍者になっていることを楽しんだり、巻物を守るのに必死だったり、影忍者がお地蔵さんに巻物をお供えしたことでお地蔵さんが増えたりと、面白い方に乗っかていくのが伝染していったように思います。みんな周りの様子をちゃんと見ているんです」
矢島さん
「場所変えのときは、直前まで様子をうかがって、ワークショップに参加していなかった子が “川をやりたい”と足を投げ出して後ろに手をつく姿勢を取ったんです。最初は川?という反応もありましたが、反対側に同じ姿勢をとった子が現れ、さらに4人で十字になり、みんなが何かに気づいたように集まって8人になった。すると最初に座った子がみんなのつま先が集まったところにスペースを広げてくれて、そこに男の子が立ったんです。そのタイミングで清水さんや鷹野さんが『大きな噴水だ、すごい』と言ってくれた。ワークショップを通して、子どもたちに前向きな声をかけてくださったことで、自分の変身が伝わっているという安心感や喜びを感じたのかもしれません」
宗倉先生からは、普段の子どもたちとの様子を比較して、
「子どもたちはみんな柔らかい表情をしていた」
「大人が入ったことで、日ごろリーダータイプの子が子どもらしくいられた」
「普段、特に仲良くしていたわけではない子どもたちがコンビを組んで銅像を演じていた」
「2週間ほど、なかなか学校に足が向かなかった子がジャンプしたりスキップしたり、身体を寄せてきてくれたり。学校で楽しいと思える場がつくれたことは、良かったです」
などのコメントがありました。そして「終わってからも、みもちゃんと呼んでくれたことで、先生と生徒、大人と子どもではない関係が築けたように思います」とも。
それらの言葉に八木さんも「道徳の授業で生まれた課題が、このワークショップにつながったみたいですね」と手応えを感じているようでした。
川辺小学校では、ワークショップを宗倉先生のクラスだけでなく、1年生全員に体験させたいという思いから、翌週には、宗倉先生を中心にほかの1学年の先生とともに、ワークショップに挑戦したようです。
「演劇による学び」のさらなる広がりを目指して
児童・生徒に向けたワークショップの実践校の公募には、川辺小学校のほか、伊那市市東春近小学校、長野市立徳間小学校、長野県伊那養護学校が手を挙げました。12月、1月にその全ての学校でワーショップを実施。4校のうち、3校が教員向けワークショップを体験した先生方が所属する学校だったことは、先生方の中に生まれた手応えの裏付けと言えるかもしれません。
- 徳間小学校6年生のワークショップの様子
「長野県文化芸術振興計画」は5年目となる本年度で一区切りになりますが、「演劇による学び」推進事業は今後の教育現場でのさらなる広がりを期待させる取り組みに育ってきています。
矢島さん
「このワークショップは、やれば確実に子どもたちから引き出せるものがあります。普段は見られない子どもの姿や行動です。先生方が子どもの新たな側面に気付くことで、今度は普段の授業のやり方も変わってくるはず。先生たちにはそれぞれ学級での課題にぜひこのワークショップを役立てていただければと思います」
八木さん
「今年はアーティストと学校の現場をつなげることができました。言葉で伝えるのはなかなか難しかったのですが、体験した先生方は“これはいいね”とおっしゃってくださるので、次の段階として先生同士の横のつながりで広がっていってほしい。こうした学びの取組が広がることで学校とファシリテーターの距離が縮まり、県を介さずも、学校とファシリテーターが伴走し合い、活動が継続していくというのが理想です」
今後も教育現場に広げていくには、先生方に知っていただく一方、さらに県内で活動しているファシリテーターとつながり、人材育成を行なっていくことも鍵になりそうです。
取材・文:いまいこういち
撮影(上田市立川辺小学校):タナカラ
写真提供:長野県