CULTURE.NAGANO長野県文化芸術情報発信サイト

特集

県内のユネスコ無形文化遺産「風流踊」登録3芸能が競演!「第1回南信州民俗芸能フェスティバル」レポート

県内のユネスコ無形文化遺産「風流踊」登録3芸能が競演!「第1回南信州民俗芸能フェスティバル」レポート

2023(令和5)年2月26日(日)、下伊那郡阿南町で「第1回南信州民俗芸能フェスティバル」が開催されました。前年11月に日本の「風流踊」41件がユネスコの無形文化遺産に登録され、これに長野県内の「跡部(あとべ)の踊り念仏」(佐久市)、「新野(にいの)の盆踊」(阿南町)、「和合(わごう)の念仏踊」(同)が含まれたことから、本フェスティバルでは「風流踊ユネスコ無形文化遺産登録記念大会」と銘打ち、3芸能が初めて一堂に会して公演を行いました。
会場となった阿南文化会館は定員の300席余が予約で満席となり、YouTubeでライブ配信も行われました。

写真:第1回南信州民俗芸能フェスティバル阿南町の風景(阿南文化会館付近から)

「CULTURE.NAGANO」では以前、「コロナ禍における南信州の民俗芸能」と題して、南信州の伝統芸能の現在に至る背景や今後の展望について掲載しています。

~コロナ禍における南信州の民俗芸能~民俗芸能の今と、未来のあり方を考えるために

今回の特集では、イベントの様子とともに、保存と継承に取り組む方々の思いを紹介します。

南信州は芸能の宝庫

長野県南部の飯田市と下伊那郡を含む飯田下伊那地域は「南信州」と呼ばれ、南北に流れる天竜川の流域には湯立神楽、人形浄瑠璃、歌舞伎、獅子舞、煙火(花火)といったさまざまな芸能が伝承されています。長野県内の国指定重要無形民俗文化財は10件ありますが、そのうち6件が南信州にあるという「民俗芸能の宝庫」なのです。

この地方では2015(平成27)年から、県や自治体、民間団体などでつくる南信州民俗芸能継承推進協議会(事務局・南信州広域連合)が組織され、民俗芸能の保存と継承のためのさまざまな取り組みを行っています。南信州民俗芸能フェスティバルもそうした事業の一環で、昨年まで過去6回開催してきた「南信州民俗芸能継承フォーラム」を発展させたイベントです。過去の「フォーラム」は飯田市内で開催してきましたが、今年の「フェスティバル」は町内の2芸能がユネスコに登録された阿南町が会場。「南信州民俗芸能パートナー企業」41社が協賛しました。

写真:第1回南信州民俗芸能フェスティバル3団体が一堂に会して盛況となったフェスティバル(閉幕時の記念撮影)

民俗芸能をコミュニティの「結衆力」に

第1部では、國學院大學の小川直之教授が「ユネスコ無形文化遺産登録をどう活かすか」と題して講演を行いました。小川教授は南信州民俗芸能継承推進協議会のアドバイザーを務め、阿南町の国指定重要無形民俗文化財「新野の雪祭」は毎年のように訪れて調査するなど、南信州の民俗芸能に造詣の深い民俗学者です。
小川教授は、南信州には時代の異なる芸能が蓄積・継承されており、日本の芸能史の縮図ともいえる全国的にも数少ない地域だと指摘しました。

小川教授によると、「風流」は平安時代には「ふうりゅう」と読みましたが、12世紀後半の記録に「ふりゅう」という読みが登場して以降、芸能の世界では「ふりゅう」が定着しました。風流は華やかで人目を引くこと全般を意味し、その精神は室町時代に花開いて江戸時代の歌舞伎にもつながっています。
現在もイベントなどで行われる仮装行列は風流の典型といえ、長野県内でユネスコ登録された3芸能は、風流の精神が念仏と結びついたものです。

写真:第1回南信州民俗芸能フェスティバル学術研究による客観的な価値付けの重要性を説いた小川教授

小川教授はさらに、民俗芸能は地域のさまざまな文化が組み合わさった「根生(ねおい)の文化」として人々の「結衆力」の源になりうるとし、今回のユネスコ登録を主体的に活用して「地域個性」を確立させるためには、記録作成など学術的な価値づけが必要であると提言しました。

日本人の死生観を学ぶことが大切

後半の第2部では芸能上演に先立ち、元飯田市美術博物館学芸員の櫻井弘人さんが南信州の風流踊について解説を行いました。櫻井さんは、今回ユネスコに登録された阿南町の2芸能の他にも、念仏系の風流踊は南信州に多くあり、「下伊那のかけ踊」として国選択無形民俗文化財に選定されていることを紹介しました。

写真:第1回南信州民俗芸能フェスティバル風流踊を通じて日本人の死生観を学ぶべきと訴えた櫻井さん

個別の芸能解説では、和合の念仏踊と新野の盆踊について、ともに先祖供養・死者供養としての盆行事と密接に結びついていることを指摘。コロナ禍以降、葬儀が簡略化する傾向が強まっている今こそ、こうした芸能を通して日本人の死生観や死者供養の心を学ぶ必要があるのでは、と訴えました。

3芸能を上演

跡部の踊り念仏

跡部の踊り念仏は、佐久盆地の中心部に位置する佐久市跡部地区に伝わり、毎年4月の第一日曜日に浄土宗の西方寺で行われます。1279(弘安2)年、時宗の開祖である一遍上人が善光寺に参詣した帰路に叔父の墓参のためにここへ立ち寄り、人々に踊り念仏を教えたと伝えられています。
踊りが行われる舞台は「道場」と呼ばれ、49本の塔婆(とうば)と鳥居型の4つの門、白い天蓋幕に囲まれています。これを極楽浄土に見立て、着物姿の男女が中央の太鼓を囲んで回りながら踊ることで、先祖を慰めみずからの極楽往生を願うものです。

第1回南信州民俗芸能フェスティバル

保存会長の伴野則行さんは、跡部に踊り念仏が伝承された背景について、「一遍上人が訪れた鎌倉時代には麻の取引を行う市が営まれて人々が集まる場があったこと、貧しかった当時の人々にとっては踊り念仏が大きな楽しみだったことが理由だと思います」と説明。高齢化という課題を抱えつつも、地元の事業所に通勤する人たちへのアピールや、展示施設の一般開放なども行いながら会員確保を行っていることを紹介しました。

写真:第1回南信州民俗芸能フェスティバル「引声念仏」を唱えながら道場入り

公演では、ステージ上に簡略化した「道場」が設けられ、鉦(しょう)を手にした踊り部の人たちが「南無阿弥陀仏ありがたや」と引声念仏を唱えながら一歩ずつ進んで入場。「賽(さい)の河原和讃」「平念仏」「切り念仏」の後、クライマックスの踊りが始まりました。
鉦と太鼓の音に合わせて大きく足踏みをしたり、左右後方に振り向いたり。踊りの所作はどこか可愛らしさがあり、鳴り物のリズムの覚えやすさとあいまって、盆踊りの古い姿を想像させてくれました。

  • 第1回南信州民俗芸能フェスティバル鉦を叩きながら踊る
  • 第1回南信州民俗芸能フェスティバルシンプルな所作が盆踊りの原点を想像させる

和合の念仏踊り

この念仏踊りは8月13日から16日にかけて、和合地区の熊野神社、集落の開祖とされる宮下家、林松寺の3カ所で行われるもので、初日は神社からお寺へ、最終日はお寺から神社へという順番で行われることから、櫻井さんは「新野の盆踊りと同様に神送りの性格が見られる」と分析しました。
その始まりは宮下家当主が1742(寛保2)年に川中島(長野市)で習い覚えてきたとの伝承がある一方、遠州大念仏の影響も指摘されています。

第1回南信州民俗芸能フェスティバル

和合地区は山間集落にもかかわらず、現在の念仏踊りの担い手の多くをIターン移住者やその子どもたちが占めています。保存会長の平松三武さんは「コロナ禍では参加者を地元住民に限りましたが、それでも行事を行うことができました。この踊りは農作業とつながっており、『なんでもかんでも豊年だ』という掛け声に人々の思いがこもっています」と紹介しました。

写真:第1回南信州民俗芸能フェスティバル和合の念仏踊り「庭入り」

ステージでは女性たちの横笛の調べにあわせて初めに「庭入り」が始まりました。鮮やかな灯籠と「南無阿弥陀仏」旗に続き、シデと呼ばれる紙を垂らした菅笠で顔を隠した踊り手たちや、花・柳と呼ばれる飾りを持った子どもたちがゆっくりと入場。太鼓役は「サーヨーイ、ソーリャ」の掛け声とともに、大きな所作で太鼓を叩きながら進みました。
全員が出そろうと太鼓は持ち手と叩き手に分かれ、曲調は「豊年だ、豊年だ」とリズミカルなものに一転。踊りは激しさを増し、ヒッチキ棒や擦りザサラ、鉦などを持った役もステージ狭しと踊り回りました。
その後「念仏」「和讃」と続き、哀愁あふれる踊りが観客を魅了しました。

  • 第1回南信州民俗芸能フェスティバル祈るような所作を見せる「念仏」
  • 第1回南信州民俗芸能フェスティバル古老の音頭にあわせて踊る「和讃」

新野の盆踊り

愛知県と境を接する新野地区に伝わる盆踊りで、8月14日夜から17日早朝まで3夜続けて夜通し行われます。鳴り物が一切入らず、音頭取りがリードする盆唄に合わせて踊るのが特徴です。
1529(享禄2)年に地区内の古刹瑞光院が建立された際、開山した僧とゆかりのある三州振草(愛知県東栄町)の人々が祝いのために踊ったのが始まりと伝えられています。
民俗学者の柳田國男が1926(大正15)年に見学し、踊りの最後に行われる「踊り神送り」を「仏教以前からの亡霊祭却の古式」と高く評価したことから、全国的に知られるようになりました。

第1回南信州民俗芸能フェスティバル

「新野高原盆踊りの会」の山下昭文会長は、「コロナ禍で2年間休止しましたが、3年ぶりに再開した昨年は今まで以上に多くの踊り子が集まってくれてとても感激しました」と振り返り、「新野の盆踊りはただ見ていてもつまらない。夏にお越しの際は、ぜひ輪に加わって一緒に踊ってください」と呼びかけました。

写真:第1回南信州民俗芸能フェスティバル白扇を振りながら踊る「すくいさ」

ステージの両脇にはその年に亡くなった新仏を供養する切子灯籠が掲げられ、そろいの浴衣に身を包んだ踊り手20人が輪を作りました。そしてゆったりとした曲調の盆唄に合わせ「すくいさ」「十六」「おさま甚句」の3種類の踊りを披露しました。

“ひだるけりゃこそすくいさ来たに たんとたもれよひとすくい”
“声が枯れたら馬のけつねぶれ 馬のけつからこえが出る”
“おさま甚句はどこからはよた 三州振草下田から”

盆唄の中には、飢饉の苦しさを歌ったものや踊りのルーツを説明するもの、歌声が小さくなったときに励ますものなどさまざまあり、客席からも一緒に歌う声が聞かれました。

  • 第1回南信州民俗芸能フェスティバル手を打ち鳴らしながら軽快に踊る「十六」
  • 第1回南信州民俗芸能フェスティバル哀愁を帯びたメロディーの「おさま甚句」

「南信州民俗芸能パートナー企業の力を支えに、次は神楽のユネスコ登録へ」

フェスティバル終了後、協議会の事務局で今回のイベント開催に尽力した斎藤崇さん(南信州広域連合職員)にお話を伺いました。

写真:第1回南信州民俗芸能フェスティバル3芸能の合同公演を実現させた斎藤崇さん

企業の協賛を集めてこうしたイベントを行うのはユニークな試みですね。

斎藤さん
「はい。民俗芸能パートナー企業制度は南信州地域における画期的な取り組みの一つで、100を超える企業に参加をいただいています。協議会が行う事業への協賛も多くの企業さんから前向きな反応をいただいているのですが、それをどうやって芸能団体への直接支援につなげるかという課題がありました。補助金ですと用途が限られてしまいますから、今回のフェスティバルのように出演団体への謝礼という形で還元する仕組みを確立したいと考えています」

次は「神楽」をユネスコ無形文化遺産に登録しようという動きも進んでいます。

斎藤さん
「風流踊のときは私たちが直接関わることができませんでしたが、神楽については登録推進の活動母体として『全国神楽継承・振興協議会』が発足し、当協議会も参加することができました。2026年の登録実現を目標に、地元の保存団体等と連携しながら積極的に取り組んでいきたいと思っています」

「地域個性」を輝かせるために、民俗芸能を核にして行政・企業・地域が一丸となって取り組みを続けている南信州。皆さんもぜひ実際の祭りに足を運び、本物の芸能を体感してください。

取材・文・写真撮影:今井啓
跡部の踊り念仏(現地)写真提供:佐久市

特集

カテゴリー選択

カテゴリーを選択すると、次回以降このサイトを訪れた際に、トップページでは選択したカテゴリーのイベント情報が表示されるようになります。
選択を解除したい場合は「全て」を選択し直してください。